『歳時記の起こりと室礼』 その一

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日頃、何気なく迎えている二十四節気や歳時記と、その室礼。これらは、どのように起こり、変遷しながら生活に溶け込んでいったのでしょうか。今回から室礼研究家の山本三千子先生に、その精神文化や形式・所作に込められた想いなどについて、ご紹介していただきます。

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「室礼」は、平安の昔、寝殿を飾った貴族のたしなみを起源のひとつに持っています。しかし、年中行事やさまざまなお祀りのために空間を整え、衣食を調える「室礼」の行為そのものは、さらに遠く縄文の昔にまで遡りうる、と私は考えています。人間の暮らしや営みは、自然からの恩恵を受けて成り立っています。それは一万年前の縄文時代も、現代も変わりません。
古の人びとは、恵みを与えてくれる土地に神の姿を見出し、綺麗な水が湧く所に水神様を祀り、豊かな植生を誇る里山に山神様を祀ってきました。自然を神と見なし、土地から受ける恩恵が賜り物であるならば、町家の井戸も神様と触れ合う大切な場所。だからこそ、お札を祀り、清浄を保ってきたのです。それは毎日の生活の中で自然(=神)と触れ合う中で、継承されてきた感謝のカタチなのでしょう。

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日本の年中行事の基準のひとつになっているのが、「二十四節気」です。一年をそれぞれ十二ずつある、節気と中気に分けて季節感を際立たせ、農作業の便をはかるこの考え方は、古代中国で生まれ、日本に根付いたのは江戸時代の頃。風土や気候の齟齬(ずれ)を調節するために節分やお彼岸等の「雑節」を加えるなど、日本ならではの工夫を施しながら、民間にまで広がりました。
陰暦と太陽暦には、およそひと月のずれがあり、太陽暦を採用している現代では、春といえば三月から五月頃になります。これに陰暦をベースとした「二十四節気」を当てはめると、冬眠していた虫が動きはじめる「啓蟄」(節)、昼夜の長さが等しい「春分」(中)、清々しい季節をむかえる「清明」(節)、耕作準備の整った田畑に雨が降りはじめる「穀雨」(中)、夏のはじまりである「立夏」(節)、草木の枝葉が茂る「小満」(中)など、春の終わりから夏の中頃までに相当します。

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新暦三月三日の雛祭りは、旧暦では啓蟄の寸前。現在では、雛人形を飾って女子の成長を祝う「桃の節句」ですが、本来は少し意味合いの異なる行事でした。旧暦の三月三日は、新暦では四月のはじめ。ちょうど季節が移ろう、体調を崩しやすい時期です。平安時代には、こうした時期に川などに入って禊をおこなう「上巳の節句」という行事がありました。もちろん、まだまだ寒い季節ですから、誰しもが水に浸かれるわけではありません。これは想像ですが、女子の多くは自ら川へ入る代わりに、紙や木片で拵えた人形に厄を移し、これを川に流したのでしょう。この「流し雛」が、人形を「守り雛」として祀る風習に変化し、やがて女子の「人形遊び」と「お節句の儀式」とが結びついて、今日の雛祭りとなっていったようです。
雛祭りが女子のお祀りであるのに対し、五月五日の「端午の節句」は男子のお祀り。二十四節気では、ちょうど立夏の頃に相当します。
立夏は、夏のはじまり。厳しい暑さに備える時期でもあります。この時期に、その香気で邪を祓うとされた蓬や菖蒲を身近に飾るのは、古代中国にまで遡る風習です。日本でも、ことに宮中などでは、夏に向けて薬玉(薬を入れた玉飾り)を贈り合う習慣がありました。菖蒲を浮かせたお湯に浴する菖蒲湯は、こうした風習の名残といえるでしょう。
その後、菖蒲が「尚武」や「勝負」に音通することから、端午の節句は男子のお祀りとしての意味合いが濃くなり、「男の子の成長を祝う行事」になっていきました。
行事の意味をひも解くと、時代と共に人々が生活に行事をうまく取り入れていたことに感心させられます。年中行事を現代生活において、どのように活かし向き合うのか、それが今日の私達の課題のように思います。

 

■山本 三千子(やまもと みちこ)
「室礼三千」(しつらいさんぜん) 主宰
新潟県生まれ。南宋瓶華四世、故・田川松雨氏に師事し、室礼を学ぶ。1995年、東京浜田山に「室礼三千」を設立。
年中行事に託された日本人の心について、室礼を中心に教え始める。
NHKカルチャーセンター、自由学園明日館公開講座にて講師を務めるほか、雑誌やテレビなどで活躍中。
著書に『暮らしの室礼十二か月』(淡交社)、『室礼おりおり』(NHK出版)、『日本人が知っておきたい和のしきたり』(三笠書房)など。

 
 
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今回の対談は平成28年
春のカタログでも掲載されています。