『小倉百人一首』
あらかるた
【290】宇治の橋姫
妻を偲ぶ歌
百人一首に収められた藤原良経(ふじわらのよしつね)の歌は、
妻に先立たれた直後に詠まれたと伝えられています。
きりぎりすなくや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
(九十一 後京極摂政太政大臣)
霜が降りるような寒い夜 こおろぎの鳴き声を聞きながら
わたしは筵(むしろ)に衣の片袖を敷いてひとりで寝るのか
またこの歌は、本歌(ほんか)取りの例としてもよく紹介されます。
本歌は二つあり、その一つが
あしひきの山鳥のをのしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む
(三 柿本人麻呂)
山鳥の長く垂れる尾のように
長い長い秋の夜を わたしはひとりで寝るのだろうか
そしてもう一つが、
さむしろに衣かたしきこよひもや 我をまつらむうぢのはし姫
(古今和歌集 恋 よみ人知らず)
筵に衣の片袖を敷いて(独り寝をして)
今宵もわたしを待っていることだろう 宇治の橋姫は
橋姫は『源氏物語』の巻名になっており、
宇治橋のたもとには橋姫神社があります。
上記の『古今和歌集』の歌は神を詠んでいるのでしょうか。
橋姫伝説
『山城国(やましろのくに)風土記逸文(ふどきいつぶん)』に、
宇治の橋姫にまつわる次のような伝説が記されています。
宇治の橋姫が妊娠し、和布(わかめ)を欲しがりました。
夫は和布を求めて海に向かいましたが、
いつまでももどってきません。
橋姫が夫を探して海辺に行くと老女がおり、
夫は龍王の婿になっていると告げます。
そして夫は龍宮の料理が気に入らず、
食事のたびに老女の家に来ているのだとも。
橋姫が隠れて見ていると
龍神の玉の輿(こし)に乗った夫が現れました。
ふたりはついに再会を果たしたのです。
『古今和歌集』の「さむしろに」は
この伝説を反映しているという説があります。
龍宮に連れ去られた男の立場で詠んでいるというのです。
ところで、橋姫は『風土記』の記述では
夫の帰りを待ちつづける女として描かれています。
ということは、「はしひめ」の
「はし」は「愛(は)し(=いとおしい、かわいらしい)」であり、
「ひめ」は単なる女子の美称だったとも考えられます。
橋姫や橋姫明神と称する神が祀られた橋は
宇治のほかにも各地にあります。
ただその多くが嫉妬深い鬼女・鬼神とされており、
「愛し姫」のイメージはありません。
境界を守る神だから怖い顔をしているのではないか、
女神だから焼きもちを焼くのではないか…、
そんな推測から、守り神が鬼神にされてしまったのかもしれません。
平安時代には、宇治川に身を投げた女の怨霊が
祟りをなすという物語も作られていました。
しかし良経が本歌取りを考えたとき、
亡き妻の面影の消えやらぬ脳裏に浮かんだのは、
『風土記』の「愛し姫」だったでしょう。
この歌の寂寥感の背景には妻を偲ぶ悲しみがあったのです。