読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【294】かなしい歌


悲しくない「かなし」

百人一首には形容詞「かなし」を用いた歌が三首あります。
そのうち猿丸太夫(さるまるたいふ 五)と
大江千里(おおえのちさと 二十三)の歌では
通常「悲し」や「哀し」と漢字で表記されていますが、
源実朝(みなもとのさねとも 九十三)の歌では平仮名です。

実朝の「かなし」が悲哀をあらわしていないからで、
あえて漢字を用いるなら「愛し」となります。

世の中は常にもがもな 渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも
(九十三 鎌倉右大臣)

世の中はずっと変わらずにいてほしいものだ
渚を漕ぐ漁師の小舟が綱手に曳かれる
(そんなふだんと変わらない)光景に心が動かされるよ

実朝は日常の光景を愛おしいと思っているのです。
最後の「も」は感動、詠嘆をあらわす終助詞です。

『古今和歌集』にこれによく似た歌があります。

陸奥はいづくはあれど しほがまの浦こぐ舟の綱手かなしも
(古今和歌集 東歌)

陸奥(みちのく)は(よい所が)いろいろあるが
塩竃の海辺を漕ぐ舟が綱に引かれていくようすは趣があるね


愛しいときの「かなし」

対象が風景などの自然である場合の「かなし」は
心惹かれる、感動するといった意味で用いられます。
それに対し対象が人である場合は情愛の表現になります。

多摩川にさらす手作り さらさらに何そこの児のこゝだかなしき
(万葉集巻第十四 3373 相聞)

多摩川に晒す手織りの布のさらさら(=今さら)に
どうしてこの娘がこれほど愛しいのだろう

『万葉集』に武蔵国の相聞歌(そうもんか=恋の歌)として載るもの。
恋人や我が子を「かなし」と詠む例は『万葉集』に多いようです。
散文では「かなしうす(=かわいがる)」という用例が
平安以降の文学によく見られます。

例外かもしれませんが、
後鳥羽院(ごとばのいん 九十九)の歌壇で活動していた
源通親(みなもとのみちちか)に、こんな歌があります。

思へたゞ すゞめのひなをかひおきて 巣立つるほどはかなしきものを
(正治初度百首 源通親)

まあ思ってもみなさい
雀の雛(ひな)を飼っていて それが巣立っていくときは
愛おしいものですよ

人でもない風景でもない、雀です。
通親は雛を「かなしう」していたわけですから、
親のような気持で巣立ちを見守ったというのでしょう。
さまざまな「かなし」があるものですね。