『小倉百人一首』
あらかるた
【295】憂き世をながらふ
時が癒す悲しみ
若い時の苦労は買うてもせよといい、
今の苦労は時が経てば笑い話になるともいいます。
藤原清輔(ふじわらのきよすけ)はこう詠んでいます。
ながらへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
(八十四 藤原清輔朝臣)
生きながらえたなら つらい今のことも懐かしく思えるだろう
つらいと思ったあのころが今では恋しい
笑い話とは言っていませんが、かつてのつらさが懐かしいと。
こんなふうに思えれば将来に希望が持てるかもしれません。
今日までもながらふべしと思ひきや 別れしまゝの心なりせば
(続拾遺和歌集 雑 平親清女妹)
今日までも生きながらえると思ったでしょうか
もしもお別れしたときのままの気持でしたら
こちらは父親と死別した娘が詠んだ歌です。
悲しみが癒えるだけの時が経っていたのでしょう。
ながらふつらさ
上記二首は時が味方をしてくれた例。
おなじ「ながらふ」を用いていても
式子内親王(しょくしないしんのう)の歌では
玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることのよわりもぞする
(八十九 式子内親王)
私の命よ 絶えるならば絶えてしまうがよい
生きながらえていると忍びきれなくなってしまうかも知れないから
ながらえる(=生きている)ことが耐え難い苦痛だというのです。
それほど秘密にしておかなければならない恋だったのかと思いますが、
これは「忍恋(しのぶこい)」の題で詠んだもの。
実体験ではありません。
次の紫式部(五十七)の歌は実感を詠んだ一首。
いづくとも身をやるかたの知られねば 憂しと見つゝもながらふるかな
(千載和歌集 雑 紫式部)
どこへともこの身の置きどころがないので
生きづらいと思いながらも過ごしていることです
家集『紫式部集』によると、
近況を尋ねる歌をよこした知人への返歌のようです。
式部は早くに夫を亡くしており、
宮仕えでも同僚のねたみなどのストレスを抱えていました。
「ながらふ」のも楽ではなかったのでしょう。
和歌の「ながらふ」を見ていると、
細々と生きながらえる、かろうじて生きている、
という意味で使われた例ばかり。
実際は長生きするのも「ながらふ」であり、
時が経過するのも、物事が長つづきするのも「ながらふ」です。
歌人たちは「ながらふ」を嘆きの歌に使いすぎたのかもしれません。