読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【265】恋の難題


知恵を絞る出題者

出題というと、通常は試験やクイズなどの
問題を出すことをいいますね。
和歌にも出題という言葉がありますが、
こちらは歌の題(歌題)を出すこと。

歌会や歌合(うたあわせ)には出題者がいて歌題を示し、
歌人たちはその題をもとに歌を作ります。

歌合ではかならず優劣を判定されますから、
一発勝負に勝てる印象的な歌を詠もうと
歌人たちは知恵を絞っていました。

しかし出題者もまた、知恵を絞っていました。
むずかしい題を出せば力量の差が反映されやすくなり、
簡単に優劣を判断できると考えたのでしょう。
とくに恋の歌の分野では、
まさかと思うような題が出されることがありました。

百人一首の二条院讃岐(にじょういんのさぬき)の歌は
「寄石恋(いしによせるこい)」という題で詠まれたものです。
石にことよせて恋の歌を詠めというのです。

わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし
(九十二 二条院讃岐)

潮が引いたときでさえ水面に見えない沖の石のように
人は知らないでしょうが わたしの袖は(涙で)乾く間もないのです


沖の石の兄妹

おなじ「寄石恋」で
待賢門院堀河(たいけんもんいんほりかわ 八十)が
詠んだ歌も伝わっています。

逢ふことをとふ石神のつれなさに わが心のみうごきぬるかな
(金葉和歌集 恋 前斎院六条)

恋人に会えるかと占うと 石神は少しも動かず
わたしの心ばかりが揺れ動いてしまうのでした

願いを聞いて石神さまが動けば、その願いはかなう。
そんな占いを試してみたけれど、
びくともしない石を見て、わたしのほうが動揺してしまったと。

沖の石で恋心を詠んだ讃岐も見事ですが、
石神の占いに結びつけた堀河の発想もおもしろいですね。
(※前斎院六条は待賢門院に仕える前の女房名です)

ところで二条院讃岐の兄、源仲綱(みなもとのなかつな)も、
ある歌合で沖の石を詠んでいました。

みつしほにかくれぬ沖のはなれ石 霞にしづむはるのあけぼの
(右大臣家歌合 春 源仲綱)

満ち潮にも隠れない沖の離れ石が
霞に沈んでしまう春のあけぼのよ

これは「霞」という題で詠まれたものです。
「離れ石」は沖にあって海から突き出ている岩のこと。
妹は潮が引いても見えない沖の石を詠み、
兄は潮が満ちても見えている沖の石を詠んでいます。

偶然とは思えないほど対照的ですね。
どちらかがどちらかを参考にしたのでしょう。

ちなみに仲綱の歌は寂蓮(じゃくれん 八十七)の歌と競い、
「持(ぢ=引き分け)」となっています。