『小倉百人一首』
あらかるた
【268】伊勢大輔の贈りもの
贈りものさまざま
お年玉の語源については「年賜」「年霊」など諸説ありますが、
新年の祝儀にさまざまなものを贈る習慣は古くからあったようです。
子どもがもらう金銭だけを指すようになったのは
ここ百年以内のことだとも。
かつては衣類などの日用品を贈った例もあり、平安時代後期の
伊勢大輔(いせのたいふ 六十一)はこんなものを贈っていました。
めづらしくけふたちそむる鶴の子は 千世のむつきをかさぬべきかな
(詞花和歌集 賀 伊勢大輔)
めずらしくも今日のこの日に飛び立ちはじめる鶴の子は
千年にわたって睦月(=正月)を重ねていくでしょう
正月一日に出産した人のもとに、襁褓(むつき)を贈ったのです。
襁褓はおむつのことですが、大輔が贈ったのは今でいう産着です。
めでたい日に生まれた子を鶴にたとえ、
鶴の齢(よわい)の千年にあやかって長生きするでしょうと。
「たつ」には「年が立つ(=新年になる)」と
「飛び立つ」の意味をもたせ、
「むつき」は「睦月」との掛詞になっています。
卯の日のまじない
この年、伊勢大輔は次のような歌も詠んでいます。
卯杖つき摘まゝほしきは たまさかに君がとふひの若菜なりけり
(後拾遺和歌集 春 伊勢大輔)
卯杖(うづえ)をついてでも摘みたかったのは
思いがけずあなたが気遣ってくれた日の若菜だったのよ
野に出て若菜を摘むのは新年最初の子(ね)の日の習慣。
その若菜摘みに杖をついて出かけたのかと、
孫が訊いてきたのです。
卯杖は初卯の日に宮中に献上されたもので、
のちに女房同士が贈りあったりもするようになりました。
杖とはいっても邪気を払うための呪具(=まじないの道具)で
人の身長ほどの長さがあり、これで地面をたたいたのだそうです。
大弐三位(だいにのさんみ 五十八)にも
卯杖にまつわる歌があります。
相生の小塩の山のこ松原 いまより千代のかげをまたなむ
(新古今和歌集 賀 大弐三位)
(あなたたちは)ともに育つ小塩山の小松原のよう
いまから千年のちの(成長した)姿を拝見したいものです
詞書に後冷泉(ごれいぜい)天皇が幼少のころ、
「卯杖の松を人の子にたまはせけるに」詠んだとあります。
人の子というのは幼なじみの貴族の子弟かと思われますが、
大弐三位は子ども同士で卯杖を贈る場に居合わせたのです。
このときの卯杖が松で作られていたことから、
相生(あいおい=ともに生まれ育つ)の松という
めでたい言葉をみちびいたのでしょう。
「小松原」は子どもたちの隠喩でもあります。
この習俗はすでにすたれてしまいましたが、
一部の神社では類似した行事が現在も行われているそうです。