『小倉百人一首』
あらかるた
【272】五重塔の秘密
舎利を安置する仏塔
日本の大寺院には五重塔、三重塔などの
美しい仏塔をもつところがあり、
わたしたちの目を楽しませてくれます。
寺院観光の目玉と言ってもよいでしょう。
しかしこれらの仏塔は、
ほんらい何のために建てられたのでしょうか。
見た目はちがいますが、円覚寺(えんがくじ)舎利殿(しゃりでん)や
鹿苑寺(ろくおんじ=金閣寺)舎利殿と同じく、これらは
仏舎利(ぶっしゃり=お釈迦さまの遺骨)を安置するのが
もともとの目的でした。
仏舎利は日を決めて公開しているところもあるので、
ご覧になった方もあるでしょう。
遺骨信仰は仏教の教えにそぐわないという考えもありますが、
実際は釈迦入滅(にゅうめつ)後まもなく
遺骨の分配が行われ、信仰の対象になったようです。
ところで、米粒やご飯粒を「シャリ/銀シャリ」と呼ぶのは
形や大きさ、色が舎利に似ているから。
遺骨といっても、ほんの米粒ほどの大きさしかないのです。
お釈迦さまの遺骨という特別なものの名が
どうして俗語になったのかと思いますが、
じつは意外に簡単に、だれでも舎利を拝むことができたのです。
きっかけは弘法大師空海でした。
九世紀初頭、空海が唐から大量の舎利を持ち帰り、
舎利礼拝ブームが起こります。
赤染衛門(あかぞめえもん 五十九)は
聖徳太子ゆかりの四天王寺を訪れて舎利を拝み、
こう詠んでいます。
わかちけむ昔にあらぬ涙こそ なほざりながら悲しかりけれ
(赤染衛門集)
お釈迦さまのご遺骨を分けた昔とはちがって
(現在のわたしの)涙はかりそめにすぎないけれど
身にしみるほどに感動いたしました
舎利は布教の手だて
寺院では舎利会(しゃりえ)や
舎利講(しゃりこう)などの名で法会を行い、
舎利を拝みに集まる人々に仏法を説きました。
藤原忠通(ただみち 七十六)は舎利講で
法華経の偈(げ)「願成仏道(がんじょうぶつどう)」を教えられ、
このように詠んでいます。
よそになど仏の道をたづねけむ わが心こそしるべなりけれ
(詞花和歌集 雑 関白前太政大臣)
どうして仏になる方法をよそに求めていたのだろう
自分の心こそがしるべなのだったとは
仏教では自分自身の中にある
仏性(ぶっしょう=仏になる可能性)に目を向けるように教えられます。
これを仏心(ぶっしん)とも呼び、
すべての衆生(しゅじょう=心をもつ存在)が
仏の心をもっているというのです。
前出の四天王寺では「舎利出し」という法会が行われています。
舎利の入った壺を頭にあててもらうもので、
お釈迦さまの導きを祈るためというのが寺の公式見解のようです。
忠通の歌にあるように、目的は
みずからの仏心に目覚めることなのでしょう。
ところで、赤染衛門は
四天王寺境内の見どころひとつひとつに感動して歌を詠み、
ありがたさを述べています。
米粒を「シャリ」と呼ぶのも、あるいはありがたいもの、
大切なものという意味合いがあったのかもしれません。