読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【273】不可能な歌


行く手を阻む桜

百人一首の春道列樹(はるみちのつらき)の歌は
「志賀の山ごえにてよめる」と詞書(ことばがき)にあるように、
都から志賀への山道で詠まれたものです。

山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり
(三十二 春道列樹)

山中の川に風がつくった柵(しがらみ)は
流れるに流れられない紅葉なのだったよ

しがらみは川の流れをせき止めるために杭を打ち込んでつくるものです。
しかし列樹が見たのは、水底に散り積もった紅葉。
流れをせき止めるほどの大量の紅葉でした。

紀貫之(きのつらゆき 三十五)は
列樹とは別の季節に志賀の山越えをして、
このような歌を詠んでいます。

あづさゆみ春の山辺をこえくれば 道もさりあへず花ぞ散りける
(古今和歌集 春 紀貫之)

春の山道を越えて来たら
道を避けることもできないほど花が散っていたことだ

「あづさゆみ(梓弓)」は「はる」にかかる枕詞です。
列樹の歌は散った紅葉がどっさりで、
貫之のほうは散った桜の花がどっさり…かと思いきや、
貫之の「花」ははなやかな女たちのたとえでした。

詞書に「志賀の山ごえに女のおほくあへりけるに…」とあり、
貫之は避けきれないほど大勢の女たちとすれ違ったのです。

この道沿いには崇福寺(すうふくじ=別名:志賀寺)があって、
平安時代初期には参詣客が多く行き来していたと伝えられます。
当時のパワースポットだったのかもしれません。


たえられぬほどの恋じゃない

列樹の歌にある「あへぬ」と貫之の歌の「あへず」は、
ともに「しようとしてもできない」不可能な状態を指しています。

このたびはぬさもとりあへず 手向山もみぢのにしき神のまにまに
(二十四 菅家)

このたびの旅は幣(ぬさ=みてぐら)も持ち合わせておりません
とりあえずは手向山(たむけやま)の錦のような紅葉を
御心のままにお受け取りください

菅原道真のこの歌では、幣が手元にないので
神に捧げようにも捧げられないということになります。

しかし「あへず」には「たえられない」「こらえられない」
という意味もあり、そちらの解釈だと、
素晴らしい紅葉に比べたら幣は負けてしまう、
捧げものとして耐えられないということになります。

和歌にはどちらの意味の「あへぬ」「あへず」もよく使われます。
次の伊勢(十九)の歌は後者の例。

秋とてや今はかぎりの立ちぬらむ 思ひにあへぬものならなくに
(後撰和歌集 恋 伊勢)

秋だからというのか霧が立ったようね
つらい恋も もうこれきりなのかもしれないわ
想いに耐えられないというわけじゃないのだけれど

霧の立つ秋の朝、ふたりの恋は今日かぎりだと、
伊勢は別れを決意したようです。
耐えられないほどつらくはない、などと言っているのは
強がりなのでしょうか。