『小倉百人一首』
あらかるた
【281】香具山の四季
後鳥羽院秀抜の本歌取り
持統天皇が詠んだ天(あま)の香具山(かぐやま)の歌は、
平安時代から現代に至るまで、じつに多くの派生歌を生んでいます。
手がつけられないほど多いので、鎌倉時代の作に限り、
「香具山の四季」というテーマに絞って選んでみました。
まずは後鳥羽院(ごとばのいん 九十九)の春の香具山。
ほのぼのと春こそ空に来にけらし 天の香具山かすみたなびく
(新古今和歌集 春 後鳥羽院)
ほのぼのと空に春が来ているらしい
天の香具山に霞がたなびいているよ
この歌は二つの歌を本歌としています。
一つはもちろん持統天皇。
春すぎて夏きにけらし 白妙の衣ほすてふ天の香具山
(二 持統天皇)
春が過ぎて夏が来ているらしい
白妙(しろたえ)の衣を干すという天の香具山には
そしてもう一つは柿本人麻呂(三)です。
ひさかたの天の香具山 この夕(ゆふべ)霞たなびく春立つらしも
(万葉集巻第十 1812 柿本朝臣人麻呂)
天の香具山にはこの夕べ 霞がたなびいている
春が立つ(=立春になる)らしいな
本歌取りの手本になるほどうまく合体させていますね。
香具山は高天原(たかまのはら)から
地上に降りてきたといわれていますが、
それも意識していたかもしれません。
後鳥羽院のように季節を変えず、
夏のままでこんなふうに詠んだ歌人もいます。
夏来れば霞のころも裁ちかへて しろたへにほす天の香具山
(建保名所百首 夏 順徳院兵衛内侍)
夏が来ると霞の衣を作り替え
白妙(の衣)にして干すのです 天の香具山には
作者の兵衛内侍(ひょうえのないし)は
順徳院(百)に仕えていた女房歌人。
春霞の衣をリメイクして夏向きの白妙の衣にするというのです。
衣が干せない冬の香具山
秋の香具山を詠んだのは藤原範宗(のりむね)。
後鳥羽院、順徳院の歌壇で活躍した歌人です。
しぐれつるこずゑは晴れて 夕づく日にしきほすてふ天の香具山
(道助法親王家五十首 秋 範宗)
木々の梢に降っていた時雨はあがり
夕方の日の光に(紅葉の)錦を干すという天の香具山よ
時雨が止んだのを見て、香具山では
雨に洗われた紅葉に夕日が射しているだろうと。
干すのが白妙の衣でなくて錦の衣だというのが、いかにも秋です。
冬の香具山は後鳥羽院の孫、後嵯峨院(ごさがのいん)の一首。
冬きては衣ほすてふひまもなく しぐるゝ空の天の香具山
(続後撰和歌集 冬 後嵯峨院)
冬が来てしまっては衣を干すという機会もなく
時雨が降りそうな空模様の天の香具山であることよ
冬は衣の出番がなく、それどころか雨が降りそうだと。
寒そうな香具山の姿が目に浮かびますね。
以上の四首は持統天皇の歌に影響された作品のほんの一部です。
これほど歌人たちの創作意欲を刺激しつづけた歌も
めずらしいかもしれません。