読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【284】お釈迦さまの足跡


国宝になった足跡

文屋康秀(ふんやのやすひで 二十二:前話参照)は
下級官吏として生涯を終えた歌人ですが、
文屋氏のルーツは由緒正しく、天武天皇の孫にあたる
文屋浄三(きよみ)までさかのぼることができます。

浄三は政界に重きをなして大納言となり
従二位という高位に上っていますから、
子孫の康秀が不遇を嘆いたのもうなずけます。

浄三は政務に励むいっぽうで熱心に仏教を信仰していました。
聖武天皇による廬舎那仏(るしゃなぶつ=奈良の大仏)鋳造を
目の当たりにしていたはずなので、
少なからず影響を受けていたのかもしれません。

浄三は仏教関連の書物を著していますが、一般的には
奈良の薬師寺に建立した仏足石(ぶっそくせき)が知られています。

仏足石はお釈迦さまの足跡がついた石のこと。
経典に書かれているお釈迦さまの足の特徴
(=大きくて扁平で輪のような模様がある、など)を
忠実に石に彫り込んだもので、礼拝の対象となるものです。

その傍らには仏足石を賛美する歌を刻んだ歌碑もあり、
現在は仏足石とともに国宝になっています。

歌は二十一首あり、すべて万葉仮名です。
最初の歌を片仮名にしてみると

ミアトツクル イシノヒビキハ アメニイタリ ツチサヘユスレ
チチハハガタメニ モロヒトノタメニ

意味はこんなところでしょうか。

お釈迦さまの足跡を作る石の響きは 天に至り 大地さえ揺らすがよい
父母のために すべての人々のために

歌の作者が浄三かどうかはわかっていませんが、
仏足石を称えるだけでなく信心を勧める内容の歌もあり、
どのような人物が詠んだのか興味深いところです。


同期は大伴家持

『万葉集』は孝謙天皇の
新嘗会(しんじょうえ/にいなめまつり)に際して
詠んだという浄三の歌を載せています。

天地と久しきまでに 万代に仕へ奉らむ黒酒白酒を
(万葉集巻第十九 4274 従三位文屋智努真人)

豊穣を願って悠久の天地(あめつち=大自然)を称え、
天皇の治世も久しくつづけ、我々も永遠に酒を捧げつづけようと。

黒酒(くろき)白酒(しろき)は
新嘗祭に供するよう定められていた酒のこと。
醸した原酒を濾したものが白酒で、
それに木の灰などを加えたものが黒酒です。

このとき歌を献じたのは浄三を含め六名。
少納言だった大伴家持(おおとものやかもち 六)も含まれ、
ともに天皇の側近くに仕えていたことがわかります。
康秀の祖先がこんなところで大歌人と出会っていたとは、
おもしろいですね。