読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【286】空をゆくものたち


空の通い路

おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきさうじゃないか

こんなふうに雲に呼びかけたのは
大正期の詩人、山村暮鳥でした。
ゆっくりと風に乗って流れていく雲は、
詩人ならずとも心惹かれることがあるでしょう。

百人一首には雲を詠んだ歌が五首あり、
雲は和歌でもおなじみの素材です。

雲居(くもい)や雲路(くもじ)という言葉も使われますが、
雲居は雲が居るほど高いところ、すなわち大空のこと。
はるかに高いところという意味で、宮中を雲居ということもあります。

それに対し、雲路は雲が通るほど高いところにある空中の道を指します。
清原深養父(きよはらのふかやぶ)の歌は
それを踏まえたユーモラスな一首。

夏の夜はまだよひながら明けぬるを 雲のいづこに月やどるらむ
(三十六 清原深養父)

夏の夜はまだ宵だと思っているうちに明けてしまったが
月は雲のどのあたりに宿をとっているのだろう

夏の夜は短いので、
月は道の途中まで来たところで夜が明けてしまう。
どこかの雲にかくれて休んでいることだろうと。

雲と月が同じ道を通る…。
現代人には考えにくいかもしれませんが、
当時は雲も月も星も、さらには季節も、
雲路を通るとされていたのです。

春日野にけふもみ雪の降りしくは 雲路に春やまだ来ざるらむ
(新続古今和歌集 春 清原深養父)

春日野に今日も雪が一面に降っているのは
雲路に春がまだ来ていないからだろうね

春の代表的な行楽地である奈良の春日野。
しかしその名に反して一面の雪景色なのは、
まだ雲路を通って春が来ていないからだろうというのです。

源俊頼(みなもとのとしより 七十四)は
おなじ春でも帰雁(きがん)を詠んでいます。

春くればたのむの雁も 今はとて帰る雲路に思ひ立つなり
(千載和歌集 春 源俊頼朝臣)

春が来ると 田の面(たのむ/たのも)にいる雁(かり)も
時が来たなと 帰り道の雲路に向かう気になるものだよ

渡り鳥が行き来するのもまた、雲路でした。


雲路から来た舞姫たち

渡り鳥も行き来する雲路は、
美しい乙女たちの通り道でもありました。
後醍醐(ごだいご)天皇はこう詠んでいます。

天つ風袖寒からし 乙女子がかへる雲路のあけがたの空
(続後拾遺和歌集 冬 後醍醐院)

空を吹く風を受けて袖が寒いだろう
舞を終えた乙女たちが帰って行く
明け方の空の通り道は

百人一首にある
遍昭(へんじょう 十二)の「天つ風」を活かした本歌取りです。
雲路は遍昭の歌の「雲のかよひ路」のこと。
天女にたとえられる舞姫たちは、空の道を通って
宮中に舞い降りていたのですね。

昔の人は想像力がゆたかだったようです。