『小倉百人一首』
あらかるた
【287】父の歌 母の歌
我が子の将来を案じて
百人一首にある藤原基俊(ふじわらのもととし)の歌は、
息子の栄達の機会を失った悲しみを詠んだものです。
契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり
(七十五 藤原基俊)
約束していただいた「させも草」というお言葉が頼りでしたのに
(願いは叶わず)今年の秋も空しく過ぎていくようです
基俊は藤原忠通(ただみち 七十六)に、
息子をある法会の講師に推薦してくれるよう依頼していました。
忠通は清水の観音の歌の一節を引いて
させも(=それほどまで)頼むならと応じたのですが、
結局息子はチャンスを与えられませんでした。
(※観音の歌はバックナンバー【67】参照)
我が子のために有力者に尽力を頼み込む。
いつの世にもありそうな話です。
基俊の歌は息子の成人後のこと。
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)には
こういう歌があります。
《詞書》
物思ひける時 いときなき子を見てよめる
今更になに生ひいづらむ 竹の子のうき節しげきよとは知らずや
(古今和歌集 雑 凡河内躬恒)
今さらどうしてこのように育っているのだろう
(竹の子のような我が子は 竹の節のように)
つらい折節の多い世の中だとは知らないのだろうか
思い悩むことがあったとき、ふと幼い我が子を見て、
おまえもこんなふうにつらい思いをする日が来るんだろうなと、
作者は不憫に思ったのです。
子どもが無邪気であればあるほど、思いは深かったかもしれません。
愁いも喜びも我が子ゆえ
伊勢大輔(いせのたいふ 六十一)は
筑紫(つくし=九州)に下って行く娘とこのような歌を交わしています。
千歳までいきの松原いく君を 心づくしにこひやわたらむ
返し
いきの松いきても君にあふことの 久しくならむ程をこそ思へ
(伊勢大輔集)
生(いき)の松原は博多湾にある白砂青松の名所です。
そこを通って行くあなたを、気をもみながら
恋しく思うことになるでしょうというのです。
「千歳」は「松」の縁語ですが、しばしの別れが
千年にも感じられるという、母の思いが込められているのでしょう。
娘からの返歌は、おたがい生きていても会えない、
その時間の長さを思っていますと。
最後は源雅兼(みなもとのまさかね)の歌です。
うれしさを返す返すもつゝむべき 苔のたもとのせばくもあるかな
(千載和歌集 雑 入道前中納言雅兼)
うれしさを幾度でも包みたいのだが
法衣の袂(たもと)がなんと狭いことか
雅兼は鳥羽天皇や崇徳天皇(七十七)に仕えたのち、
病気を理由に辞職、出家していました。息子が七人いたようですが、
この歌は三男雅頼(まさより)の昇進がかなった喜びを詠んだもの。
僧侶の着る地味な着物を「苔の衣」といいます。
その小さい袂では包みきれないほど喜びは大きいというのです。
自分はすでに引退しているので、
息子の将来への安堵感もあったと思われます。
我が子が何歳になっても親の情は変わらないのですね。