『小倉百人一首』
あらかるた
【242】白くなくてもしろたへ
白妙と白栲
百人一首には枕詞「しろたへの」を用いた歌が
二首収められています。
春すぎて夏きにけらし 白妙の衣ほすてふ天の香具山
(二 持統天皇)
春が過ぎて夏が来ているらしい
白妙の衣を乾すという天(あま)の香具山(かぐやま)には
田子の浦にうちいでて見れば 白妙の富士のたかねに雪はふりつつ
(四 山部赤人)
田子の浦に出てみると
白い富士の頂きには雪が降りつづいているよ
「白妙」という漢字表記は「妙」という文字のせいか
白くて素晴らしいもの、よいものといったニュアンスがあり、
雪、雲、波などにかかる枕詞としてふさわしい気がします。
ほかに「白栲」という書き方も見かけますが、
こちらは樹皮の繊維で織った白い布を指しています。
栲(こうぞ=楮とも)や梶(かじ)の木を使っていたのだそうで、
枕詞「しろたへの」が衣や袖、袂(たもと)、帯などにかかるのは、
もともと布や衣服に関連する言葉だったから。
というわけで、枕詞「しろたへの」が導くのは
白いものにかぎりません。
定家のしろたへ
百人一首の選者藤原定家(九十七)にも、
よく知られた「しろたへの」の一首があります。
この場合も布製品一般にかかる枕詞なので、
袖は(おそらく)白くはないのでしょう。
白栲の袖のわかれに露おちて 身にしむ色の秋かぜぞ吹く
(新古今和歌集 恋 藤原定家朝臣)
(重ねていたふたりの着物の)袖を分かつ別れに涙が落ちて
身にしみるような色の秋風が吹いています
夜のあいだはおたがいの衣(きぬ=着物)を重ねて共寝し、
翌朝はそれぞれの衣を着て別れます。
衣と衣が別々になるので、朝の別れを衣衣(きぬぎぬ)といい、
「後朝」の字を宛てて「きぬぎぬ」と読ませています。
それはさておき、
この歌の上の句は『万葉集』にある次の歌の本歌取りです。
白栲の袖の別れは惜しけども 思ひ乱れてゆるしつるかも
(万葉集巻十二 3182 よみ人知らず)
ふたりの袖を分かつ別れは残念だけれど
思い悩みながらも受け入れたことですよ
そして下の句は
吹きくれば身にもしみける秋風を 色なきものと思ひけるかな
(古今和歌六帖 423)
吹いてくると身にしみる秋風を
色がないものと思っていたことよ
我が身が悲しみの色に染まったのだから、
これまで色がないと思っていた秋風には、じつは色があったのだと。
「沁みる」と「染みる」が掛詞になっています。
定家は二つの歌を合わせることで
「白栲」「袖」「染む」という縁語を連ね、
技ありとでもいうべき恋の歌を作り上げています。