読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【244】小野小町は語る


七月七日の訪問者

能の演目に「三老女」と呼ばれるものがあります。
『姨捨(おばすて)』『檜垣(ひがき)』と
『関寺小町(せきでらこまち)』という三曲で、
いずれも女性をシテ(=主役)とする作品です。

『関寺小町』のシテはもちろん小野小町(九)ですが、
この曲で描かれる小町はうら若き美女ではなく、百歳の老女。
物語は七夕の日、関寺に住む僧の登場で始まります。

僧は稚児(ちご)と若い僧たちを連れており、
和歌の達人だという老女を訪ねていきます。

僧の第一声は「待ち得て今ぞ秋に逢ふ」というもので、
七月七日(旧暦では初秋)を待っていたことがわかります。

七月七日の夕べには、諸芸の上達を願って、
星にさまざまな供えものをするならわしでした。
裁縫の上達を願う五色の糸、
書道の上達を祈る短冊などが一般的だったようです。

僧たちは歌道の上達を願っていました。
老女に和歌の教えを請い、
歌を作って星に手向けるつもりだったのでしょう。

さて、突然の訪問にもかかわらず老女は快く応じ、
和歌のあれこれを語り始めます。
その詳しさ、うわさにたがわぬ和歌の達人だと
僧は驚いたり感心したりするのですが、
話の内容が小野小町関連に偏っているのに気づきます。

まさか本人なのでは?
しかし本人はとうに世を去っているはず。
ただほんとうに百歳だとすれば、
ありえないことではないかも…。


うわさの真相

問い詰められた老女は、
ついに自分が小野小町であることを明かします。

老女が白状するまでのやりとりがおもしろく、
たとえば文屋康秀(ふんやのやすひで 二十二)に
誘われたというエピソードについて、それは
大江惟章(おおえのこれあき)に冷たくされたときの話だと言います。

業平(なりひら 十七)に捨てられたという
一般的な伝説とは食い違っています。

芸能人が語る「今だから言えるうわさの真相」のような
不思議なおもしろさがあります。

わびぬれば身をうきくさの根を絶えて 誘ふ水あらばいなんとぞ思ふ
(古今和歌集 雑 小野小町)

心細いわたしですから 浮き草のように根を絶って
(=現在の境遇とは縁を切って)
誘ってくださる人があればここを去りたいと思います

三河に赴任する康秀からいっしょに行かないかと誘われ、
やんわりと断ったのがこの歌。
「誘ふ水あらば」と言っているので、
康秀の言葉を誘い水とは思っていないのです。

『古今和歌集』に採られたため有名な一首ですが、
小町の生涯は歌集成立時にすでに伝説化していたと思われ、
康秀とのかかわりも、もしかしたら
だれかの創作だったかもしれません。