読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【247】京都納涼和歌集


都の夕涼み

とにかく暑い京都の夏。
日が暮れるのが待ち遠しいくらいですが、
鎌倉時代にはこんな歌を詠んだ人がいました。

風そよぐ軒端の竹にもる月の よの間ばかりぞ夏も涼しき
(新後撰和歌集 夏 源俊定朝臣)

風にそよぐ軒端の竹の間から月の光が漏れている
その竹の節(よ)の間ほどに短い
夜の間だけは 夏も涼しいのだよ

夏の夜はすぐ明けてしまうので、短夜(みじかよ)と呼ばれます。
そんなわずかな間だけはかろうじて涼しいというのです。

では、あきらめて夜を待つしかないのかというと、
慈円(じえん 九十五)はこう詠んでいます。

宿からやすゞむけしきもかはるらむ 板井に清水庭に松風
(慈鎮和尚自歌合)

家ごとに涼むようすも異なるようだね
井戸から清水を汲んだり
庭に吹く松風を聴いたりして

松風は松の枝葉を抜けて吹く風をいい、
古来風情あるものとして愛されてきました。
古人(いにしえびと)はそれを音楽を聴くように楽しんだのです。

板井は板で囲った井戸や泉のこと。
地下水脈に恵まれた京都には多くの井戸が掘られていて、
季節を問わず清冽(せいれつ)な水を手に入れることができました。


ならの小川は納涼スポット

百人一首では藤原家隆(ふじわらのいえたか)が
涼しげな夏の夕暮れを詠んでいます。

風そよぐ楢の小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける
(九十八 従二位家隆)

楢(なら)の葉が風にそよいで ならの小川の夕暮れは涼しいが
禊(みそぎ)のようすがまだ夏なのだと知らせてくれるよ

京都上賀茂神社の境内を流れる御手洗(みたらし)川の光景です。
禊をする旧暦六月晦日は夏の最終日。とはいえ、
さすがに水辺の夕暮れは涼しかったのです。

御手洗川は現在でも京都の納涼スポットのひとつ。
鴨川沿いの夕涼みに人気があるように、
人はついつい水辺に集まるもののようです。

源俊頼(みなもとのとしより 七十四)も
どこかの池のほとりを訪れていたらしく

風吹けばはすのうき葉に玉こえて すゞしくなりぬひぐらしの声
(金葉和歌集 夏 源俊頼朝臣)

風が吹くと水に浮く蓮の葉に水玉が転がり
涼しくなったよ 蜩(ひぐらし)の声も聞こえて

水面(みなも)をわたる風、
葉上に転がる露の玉、そして蝉の声。
「ひぐらし」には「日暮し」の意味が重ねられており、
時間が経過して夕暮れになったことを示しています。

夏の京都にお越しの際は水辺をテーマに
各所をめぐるのも一興かもしれません。