『小倉百人一首』
あらかるた
【255】二人の天皇が愛した美女
兄弟の不和
天智天皇(てんじてんのう 一)には
近江大津宮天皇(おうみおおつのみやのすめらみこと)という
和風の別名があります。
大化改新ののち都を飛鳥から近江に遷し、そこで即位したからです。
しかし、新都完成の直後に事件が起こっていました。
琵琶湖のほとりで催された宴で
天皇の弟で皇太子だった大海人皇子(おおあまのおうじ)が
槍を振りまわし、宴席を台無しにしてしまったのです。
怒った天皇は大海人を殺そうとしたのですが、
藤原鎌足(かまたり)がなだめて事なきを得たと伝えられています。
大海人の狼藉の原因は何だったのでしょう。
天皇が息子の大友皇子(おおとものおうじ)を
太政大臣に任命したために、
自身の皇位継承が危うくなったと考えたのか。
それとも美女額田王(ぬかたのおおきみ)をめぐる
三角関係が背景にあったのか。
真相はわかっていません。
天智天皇の死後、
吉野に退いていた大海人の勢力と
近江の朝廷との間に戦が起こります(壬申の乱 672年)。
結局大海人が勝利して翌年には即位(天武天皇)するのですが、
この政変の萌芽は上記の湖畔の一件にあったと考えられています。
正体不明の美女
額田王は二人の天皇(しかも兄弟!)に愛された女性。
その生涯はほとんどわかっていませんが、
『万葉集』に大海人皇子との贈答歌が載せられています。
天智天皇が蒲生野(がもうの)で薬草狩りをしたとき、
額田王は大海人にこのように詠みかけています。
あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る
(万葉集巻第一 20 額田王)
紫草の茂る野を 標野(しめの=皇室の所有地)をめぐりながら
野守(のもり=畑の番人)は見てしまわないでしょうか
あなたが(わたしに向かって)袖を振っているのを
額田王はこのとき天皇の妻でしたが、以前は大海人の妻。
袖を振るのは愛情表現なので、大海人をたしなめたのです。
しかし大海人からはこんな歌が返されてきました。
むらさきのにほへる妹(いも)を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも
(万葉集巻第一 21 大海人皇子)
紫草のように美しいあなたを憎く思うなら
人妻だというのにどうして恋したりするでしょうか
この日、天皇は家族や群臣をともなって
大勢で野遊びをしていました。ということは
「野守」は実際の番人ではなく「他人の目」のことだったかも。
ところで大海人の歌に「人妻」とありますが、
これは后のことではありません。皇后は別におり、
額田王は何人もいた後宮の女性たちのひとりだったと考えられています。
大海人皇子は自分のもとから兄のもとへ移籍した額田王を
恋しがっていたと考えたほうが、
現代の感覚に近いかもしれません。