『小倉百人一首』
あらかるた
【260】屏風歌の多彩な展開
画中の人物になりかわって
在原業平(ありわらのなりひら 十七)が
屏風のために詠んだ「ちはやぶる」の歌は、
竜田川を流れる紅葉の絵に添えられていました。
描かれた情景そのままに詠み、
神代にさえこれほどのことはなかっただろうと
感想を述べています。
屏風歌(びょうぶうた)は多数遺されていますが
業平のような「感想付加型」が多く、
ときに大げさなほどの称賛やおどろきが詠まれています。
屏風が祝賀の目的(前話参照)で作られていたからでしょうか。
それに次いで多いのが「感情移入型」です。
紀貫之(きのつらゆき 三十五)はこう詠んでいます。
思ふことありてこそゆけ 春霞みちさまたげに立ちな隠しそ
(拾遺和歌集 雑 紀貫之)
悩むことがあるからこそ行くのだ
春霞よ 邪魔をして道を隠すなよ
屏風には春霞の中、山寺に入っていく人物が描かれていました。
貫之はその人物の心情を想像しているのです。
また源順(みなもとのしたごう)は
七夕の夜に琴を弾く女の絵に、
琴の音はなぞやかひなき 織女のあかぬわかれをひきしとめぬは
(拾遺和歌集 雑 源順)
琴の音色はなぜ甲斐がない(=効果がない)のかって?
それは牽牛と織女の名残つきない別れを
引き止めることができないからさ
琴を弾いても引き止められないという掛詞(かけことば)。
夜明けとともに別れなければならない
恋人たちの宿命に思いを馳せています。
物語による絵と歌の一体化
ここまではよくあるタイプですが、
作者の想像力/創造力が発揮された
「物語創作型」の屏風歌もあります。
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 四十九)の歌は
その典型的な一首です。
描かれていたのは紅葉の下を行く旅人。
ふるさとにかへるとみてや立田姫 紅葉のにしき空にきすらむ
(拾遺和歌集 雑 大中臣能宣)
故郷に帰る人だとわかって 立田姫(たつたひめ=秋の女神)は
紅葉という錦の衣を頭上の空に着せたのだろう
「故郷へ錦を飾る」という慣用句がすでにあったのでしょうか。
旅人になにかよいことがあったらしい。
秋の女神はそれを知って祝っているのだ。
こんな歌が書かれていたら、
つい絵に見入ってしまいそうです。
能宣のような絵と歌との物語性のある組み合わせはさすがに少数。
それにしても、実物が失われているのは残念です。