『小倉百人一首』
あらかるた
【261】偲ぶ歌
「忍ぶ」と「偲ぶ」
百人一首には「しのぶ」という言葉を使った歌が六首あります。
そのうち河原左大臣(かわらのさだいじん 十四)の歌は
陸奥(みちのく)の信夫(しのぶ)という地名。
残る五首は「忍ぶ」と「偲ぶ」に分けることができます。
耐える、秘密にする、人目を避けるのが「忍ぶ」。
過ぎ去った物ごとや人をなつかしむのが「偲ぶ」。
「偲」という字を分解すると「人」と「思」になりますから
「人を思う」がもともとの意味かと思ってしまいますが、
「思」は本来「こまやか」を意味していたのだとか。
「人」と「思」を合わせた「偲」は思慮深いことをいい、
日本に伝わってから「なつかしむ」という意味に変化したらしいのです。
さらに調べてみると、奈良時代くらいまでは
「偲」を「シノフ」と発音していたことが判明。
ということは次の『万葉集』の歌は、シノハムと読むのです。
面形の忘れむ時は 大野ろにたなびく雲を見つゝ偲はむ
(万葉集巻第十四 3520 東歌)
あなたの面形(おもかた=面影)を忘れそうなときは
広い野原にたなびく雲を見ながらなつかしく思い出そう
しのぶつらさを詠む
百人一首にある「偲ぶ」歌は
藤原清輔(ふじわらのきよすけ)と順徳院(じゅんとくいん)の二首。
ながらへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
(八十四 藤原清輔朝臣)
生き長らえたなら つらい今のこともなつかしく思えるだろう
つらいと思ったあのころが 今では恋しいのだから
今のわたしは現在にくらべて「昔はよかった」と思っているけれど、
そのうち現在のことを「昔はよかった」となつかしむ日が来るだろうと。
清輔は挫折の多い生涯を送った人物と伝えられていますから、
実感をそのまま詠っているのでしょう。
もゝしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり
(百 順徳院)
皇居の古びた軒端に生える忍草(しのぶぐさ)を見るにつけても
偲んでも偲びきれない昔であることよ
王朝の権力が失墜する中、質素な暮らしをしながら
かつての栄華に思いを馳せる順徳院。
偲ぶ思いが痛切であるとき、それは忍ぶつらさに通じるのでしょう。
そう考えると、「シノフ」と「シノブ」の混同が生じたのも
無理からぬことだったのかもしれません。