『小倉百人一首』
あらかるた
【262】春日野の恋
手本は河原左大臣
『伊勢物語』といえば、
恋に生きたイケメン貴公子を描いた歌物語。
その初段、元服したばかりの若者は
奈良の春日野で見かけた美人姉妹にこのような歌を贈っています。
春日野の若紫のすりごろも しのぶのみだれかぎり知られず
(新古今和歌集 恋 在原業平朝臣)
春日野の若々しい紫草で摺った衣(ころも)の模様のように
わたしのひそかな恋心は限りなく乱れています
三句までは「しのぶ」を導く序詞。
「若紫」は若い姉妹を暗示しています。
心の乱れをあらわすために「すりごろも」を持ち出したのですが、
若者は「しのぶずりの狩衣(かりぎぬ)」を着ており、
その裾を切ってこの歌を書きつけたのでした。
ところで『伊勢物語』はこの歌を、
源融(みなもとのとおる=河原左大臣)の
下記の歌を踏まえたものと記しています。
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれそめにし我ならなくに
(十四 河原左大臣)
みちのくのしのぶもじ摺りのようにわたしの心は乱れている
(あなた以外の)誰のせいで乱れ始めたわたしでもないのに
陸奥の信夫(しのぶ=現在の福島県)地方に
信夫摺(しのぶずり)という染物があり、
乱れ模様が特徴だったと伝えられています。
融は恋の歌に地名と染物の特徴をたくみに詠い込んでいます。
(前話参照)
ライバルの「しのぶ」競演
地名の「信夫」は「忍ぶ」に掛けたり、
模様の乱れを心の乱れになぞらえたりというのがお決まりのパターン。
いかにして行きて乱れむ 陸奥の思ひ忍ぶのころもへにけり
(玉葉和歌集 恋 従二位家隆)
どうやってそこまで行って心が乱れたというのだろう
(それはもはや覚えていないが)
ひそかにあの人を思いつづけて ずいぶん時が経ったものだ
「頃」と「衣」を掛詞にした藤原家隆(いえたか 九十八)の一首。
陸奥まで行って心が乱れ、時を経たかのようにみせて、
忍ぶ恋をして時間が経ってしまったよと、嘆いているのです。
「行く」には「時が行く」という意味もありますから、
これも掛詞なのでしょう。
次は家隆のライバル藤原定家(九十七)です。
春日野の霞のころも 山風に忍ぶもぢずり乱れてぞ行く
(新拾遺和歌集 春 前中納言定家)
春日野に霞の立つころ 山から吹く風に吹かれて
信夫摺の衣の模様のように 乱れた心のままわたしは行くのだよ
こちらも凝った作りの歌で、
明らかに『伊勢物語』を想定しています。
読んだことのある人ならば追体験している気持になる、というのが
この歌の面白味であり、作者の狙いどころなのでしょう。
家隆定家(かりゅうていか)と並び称された二人の
実力のほどがわかります。