『小倉百人一首』
あらかるた
【263】寒さに耐える貴族たち
寒さに眠れぬ夜
百人一首には冬の歌が六首あります。
しかしいかにも冬らしい歌、いかにも寒そうな歌はなく、
源宗于(みなもとのむねゆき)のこの歌も
山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思へば
(二十八 源宗于朝臣)
山里は冬こそ寂しさがまさるものだ
人が訪れなくなり 草も枯れてしまうと思うと
寂寥感、孤独感を詠んでいて、体感的に寒いわけではありません。
実際の寒さを詠んだ例では、こういう歌があります。
ねやさむきねくたれ髪の長き夜に 涙の氷むすぼゝれつゝ
(新勅撰和歌集 冬 中宮但馬)
閨(ねや=寝室)が寒く 寝乱れ髪のような長い夜には
流した涙さえ氷となって固まってしまいます
涙が凍るというのは誇張かもしれませんが、
それくらい室内が寒いというのです。
髪が乱れるのも寒くて眠れないせいなのでしょうか。
河千鳥月夜をさむみいねずあれや 寝覚むるごとに声の聞こゆる
(玉葉和歌集 冬 永福門院)
川にいる千鳥は月夜が寒くて寝ずにいるのでしょうか
寝覚めるごとに鳴き声が聞こえますから
この歌では、寝られない千鳥を気遣いながら、
作者自身も寒くて熟睡できていないのです。
冬向きでなかった貴族の住まい
貴族の邸宅は寝殿造(しんでんづくり)というもので、
基本的に外壁のない建物でした。
夏の歌には閨から月を見るというものがあり、
涼しい夜風もあって、寝殿造ならではの楽しみがあったようです。
しかし冬になると、楽しいなどと言っていられません。
蔀(しとみ)という戸を柱と柱の間に入れて風を防いだのですが、
格子に板を張っただけなので断熱性能はほぼゼロ。
貴族たちは室内に屏風(びょうぶ)や几帳(きちょう)を幾重にも立て、
炭櫃(すびつ)や火桶(ひおけ=木製火鉢)を置いて
暖をとっていました。
それでも寒さをしのぐには足りなかったらしく、
藤原公任(ふじわらのきんとう 五十五)は
こう詠んでいます。
霜置かぬ袖だにさゆる冬の夜は 鴨のうは毛を思ひこそやれ
(拾遺和歌集 冬 右衛門督公任)
霜が降りない着物の袖さえ凍りそうな冬の夜は
鴨の上毛(うわげ=表面の羽)があったらと思ってしまうよ
水鳥の暖かそうな羽がうらやましいというのです。
現代人はその水鳥の羽毛を身につけたり
布団にしたりして暖かく過ごしていますから、
公任が知ったらさぞ驚くことでしょう。