『小倉百人一首』
あらかるた
【264】梅は咲いたか
江戸末期の流行歌
江戸時代の末、日本に黒船がやってきた頃に、
端唄(はうた)という流行歌が最盛期を迎えていました。
端唄は小唄とおなじで短い歌という意味です。
今では芸妓さんがお座敷で歌うものと思われているかもしれませんが、
江戸末期から明治の前半にかけては代表的な民衆歌のひとつでした。
民衆が歌わなくなった昭和の時代にもレコードは出ており、
ラジオなどで聴く機会があったものです。
梅は咲いたか さくらはまだかいな
やなぎゃなよなよ風しだい
やまぶきゃ浮気でいろばっかり
しょんがいな
この歌をご存知のかたは少なくないでしょう。
梅、桜、柳、山吹という春の植物尽くしです。
ではこちらの歌は?
ゑびはつれたか すゞきはまだかいな
しらうをなよなよ水しだい
たいはうしおであらばっかり
しょんがいな
『梅は咲いたか』の替え歌です。
ヒット曲が生まれるとすぐ何種類もの替え歌が作られ、
人々はそれをおもしろがっていたといいます。
それだけ日常の生活に根付いていたのでしょう。
流行歌業界にインテリ参入
端唄大流行のなかで、
若干インテリっぽい流派が生まれてきました。
創始者歌沢笹丸の名から歌沢節(うたざわぶし)と呼ばれています。
歌詞は少し長くなり、内容にも変化が見られます。
たとえば、
富士や浅間のけむりはおろか
衛士(えじ)のたく火は沢辺のほたる
焼くやもしほで身をこがす そふじゃいな
合縁奇縁はあじなもの
片時忘るゝひまもなく
いっせつからだもやるきになったわいな
エヽおかたじけ
百人一首の大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ 四十九)と
藤原定家(ふじわらのていか 九十七)の歌が引用されています。
「おかたじけ」は「かたじけない」の変形です。
小町おもへば照る日も曇る
四位(しい)の少将が涙雨
九十九夜さでござんしゃう
仰せにおよばず そりゃそふでのふてかいな
御所車にみすをかけたかへ
こちゃそとばに腰かけた
エヽエヽばゞじゃエ
こちらは小野小町(おののこまち 九)です。
深草少将(ふかくさのしょうしょう)が小町から
百夜(ももよ)通えば願いをかなえると言われ、
雨の日も雪の日もいとわず九十九夜通ったところで力尽きるという
謡曲『通小町(かよいこまち)』がテーマ。
歌詞の最後にあるそとばに腰かけた婆というのも謡曲で、
『卒塔婆小町(そとばこまち)』冒頭の場面を指しています。
小町は百歳の老婆になっており、
深草少将の怨霊に憑かれて狂乱状態にあるという設定。
端唄から派生したとはいえ、
恋の妄執(もうしゅう)を扱った古典を主題に置くことで
お気軽な恋の歌ではなくなっています。
笹丸は武家出身でした。
知識人らしさが反映された歌詞が多いのはそのせいでしょう。
しかし歌沢節は広く世に受け入れられました。
上記二つの例では、百人一首や古(いにしえ)の歌人の物語が
長い時を経ても多くの人々に親しまれていたことがわかります。