『小倉百人一首』
あらかるた
【217】救われた秀歌
紅葉か黄葉か
菅家(かんけ=菅原道真 二十四)の撰と伝えられる
『新撰万葉集(しんせんまんようしゅう)』に
作者名のないこのような和歌が載せられています。
奥山丹黄葉踏別鳴麋之音聆時曾秋者金敷
(新撰万葉集 巻上 秋)
漢字ばかりですが、読みは
オクヤマニモミヂフミワケ ナクシカノコエキクトキゾ アキハカナシキ。
おわかりですね。
百人一首に猿丸大夫(さるまるたいふ 五)の名で載る
「奥山に紅葉ふみわけ」の歌です。歌意は
奥山に散り敷いた紅葉を踏み分け
妻を恋う鹿の声を聞くとき 秋は哀しいものと思われるよ
この歌は『古今和歌集』秋歌の巻に
よみ人知らずとして載っているもので、
壬生忠岑(みぶのただみね 三十)の鹿の歌が前にあり、
この歌の後に秋萩(あきはぎ)と鹿を詠んだ歌が三首つづいています。
このことから推測されるのは
「もみぢ」は楓(かえで)ではなく萩の黄葉だろうということ。
『新撰万葉集』の表記も「黄葉(もみぢ)」でした。
花札の十月の絵柄に「紅葉に鹿」があります。
この鹿はかならず横を向いており、
そこから「シカト(鹿十)」という言葉が生まれたとも。
ちなみに萩が描かれているのは七月(=初秋)の札で、
こちらは猪(イノシシ)との組み合わせです。
どうでもよい話のようですが、
萩の黄葉と楓の紅葉は時期がずれています。
この歌を読んでつい楓の紅葉を想像してしまうのは、
晩秋や初冬のほうが「秋はかなしき」が似合うからでしょう。
捨てるに忍びない秀歌
だれがよみ人知らずのこの歌を猿丸大夫の作としたのか。
疑われている人物のひとりが藤原公任(きんとう 五十五)です。
公任は私的な和歌アンソロジー『三十六人撰』に
過去の有名歌人を三十六人選び、それぞれの秀歌を載せています。
その中に猿丸大夫の名で三首が選ばれていて、
三番目に載っているのが「奥山に」なのです。
じつはほかの二首も『古今和歌集』のよみ人知らずであり、
公任はそれを承知の上で猿丸大夫の名を冠したと思われます。
おそらく百人一首を選んだ藤原定家(九十七)も同じでしょう。
作者不明の歌はそれを理由に忘れられてしまうかもしれないが、
猿丸大夫の作品ということにしておけば、
後世に伝えていくことができるのではないかと。
公任や定家のおかげでこの歌は生き延び、それどころか
百人一首の中でも人気の一首になった・・・、
そう考えてよさそうです。