『小倉百人一首』
あらかるた
【218】式子内親王が「しょくし」なわけ
昔もあった個人情報保護
女の子の「子」のつく名前に復活の兆しがあるそうです。
昭和生まれの女性は「子」がつく人が多く、
歴史をさかのぼれば平安時代にも、
「子」のつく名前の女性が何人もいました。
しかし「子」がついていても式子内親王(八十九)の名には
「しょくしないしんのう」と読み仮名が振られています。
また紫式部(五十七)が仕えた一条天皇の中宮(ちゅうぐう)彰子は
「しょうし」と読むのが通例です。
では実際に「しょくしさま」「しょうしさま」と
呼ばれていたのかというと、さにあらず。
式子は「のりこ」か「つねこ」であり、もしかしたら
「もちこ」だったかもしれません。
彰子は「あきこ」か「しょうこ」でしょう。
中には陽成院(ようぜいいん 十三)の母高子のように
「たかいこ」と読むことがわかっている人がいますが、これは例外。
多くの女性は読みかたが特定できないのです。
訓読みでは何通りもの読みかたができてしまうので、
混乱を防ぐために音読みで統一することになっています。
この読みかたを有職(ゆうそく)読みといいます。
おもに女性に読みかたのわからない人が多いのは、
家族などごく親しい人しか、本名も読みかたも知らなかったからです。
百人一首の女性歌人はほとんど本名不明。
実名のわからない有名人たちということになります。
当時の女性が本名という
個人情報流出を恐れた理由のひとつに、呪術が考えられています。
本名が知れると、その名に呪いをかけられる危険があったのです。
紫式部たちのように、出仕(しゅっし)した女性が
すべて女房名(=職場ネーム)で働いているのは、
本名では安心できなかったからなのでしょう。
男は最高身分で表記
アスリートだった人は「元チャンピオン」とか、
政治家や官僚経験者は「元〇〇長官」とか、
本人の過去最高の地位によって呼ばれることがあります。
男性歌人の表記もおなじで、
「前太政大臣(さきのだいじょうだいじん)」や
「前大僧正(さきのだいそうじょう)」というのがそれにあたります。
「前(さきの)」がついていると辞職したことを示すようです。
その慣例のせいで誤解されてしまったのが
「天つ風」を詠んだ僧正遍昭(そうじょうへんじょう 十二)です。
高位の僧がなぜ少女たちを歌に詠むのかと。
この歌、『古今和歌集』には俗名の
良岑宗貞(よしみねのむねさだ)で載っているのですが、
三百年ほど後の藤原定家は慣例にしたがい、
宗貞の生涯最高身分で表記したのです。
「天つ風」は出家さえしていない青年時代の歌。
宗貞が僧正という高い位に登ったのは、
それから三十年以上後のことでした。