『小倉百人一首』
あらかるた
【222】宇治の川霧
時間の経過を詠む
朝ぼらけ 宇治の川霧絶えだえに あらはれ渡る瀬々の網代木
(六十四 権中納言定頼)
夜が明けるころ 宇治川の霧がとぎれがちになると
あちらこちらの浅瀬の網代木(あじろぎ)が
少しずつ姿をあらわしてくるよ
冬の宇治川の幻想的な光景を
淡々とした描写で時間の経過とともに詠みきった、
藤原定頼(ふじわらのさだより)の代表作です。
『千載和歌集』によれば、
この歌は定頼が実際に宇治を訪れた際に詠んだもの。
宇治川は古くから川魚漁が行われていました。
網代(あじろ)は網の代わりに竹などを使った仕掛けのことで、
網代を固定するために打ち込む杭を網代木と呼びます。
ひをのよる川瀬にみゆる網代木は たつ白波のうへにやあるらむ
(金葉和歌集 冬 皇后宮肥後)
氷魚の寄ってくる 川の浅瀬に見えている網代木は
(氷魚から見れば)白波の立つその上にあるのだろうね
皇后宮肥後(こうごうぐうひご)も
次々と網代にかかる氷魚(ひお/ひうお=鮎の稚魚)を
見ていたのかもしれません。
人の目には明らかな浅瀬の網代木が、波に遮られて
氷魚からは見えていないにちがいないと。
水中の魚の視点で詠む、発想の柔軟さが感じられる一首です。
霧のかもし出す詩情
網代木のほかにもう一つ、
宇治の川霧も定頼の歌のキーワードです。
多くの歌人が題材にしている和歌の定番ですが、
参議藤原雅経(ふじわらのまさつね 九十四)は
こんな面白い歌を詠んでいます。
あさひ山峯のもみぢのさかりには 心あらなむうぢの川霧
(飛鳥井集 秋)
朝日山の峰の紅葉が盛りになるころには
気をつかってほしいものだな 宇治の川霧よ
川霧に対して、紅葉を隠してしまわないように
時をわきまえろと。
しかし雅経は川霧を邪魔者扱いしているのではありません。
宇治の川霧の風情を十分認めたうえで、
せめて山頂が紅葉する時期だけは遠慮してほしいというのです。
宇治川には濃い霧が立つこともあったらしく、
雅経の友人だった藤原秀能(ひでよし 法名:如願)は
こう詠んでいます。
ほのぼのとをちかた人のこゑながら 風に流るゝ宇治のかはぎり
(道助法親王家五十首 秋 如願)
かすかに(姿の見えない)遠くの人の声がする
その声を包み込んだまま
風に流されていく宇治の川霧よ
後鳥羽院(九十九)に仕えた北面の武士だったため
西行(八十六)と較べられることもある如願法師。
定頼の歌とおなじ淡々とした詠みかたが効果を発揮しており、
読み手は情趣に富んだ光景を無理なく思い浮かべることができます。