『小倉百人一首』
あらかるた
【224】恋するさざれ石
巌となるさざれ石
藤原雅経(ふじわらのまさつね 九十四)に
池に映る月を詠んだこういう歌があります。
池水に岩ほとならむさゞれ石の かずもあらはにすめる月影
(続古今和歌集 賀 参議雅経)
池の水の底に いずれ岩となるであろうさざれ石の
数が数えられるほどに 明るく澄んだ月の光が注いでいるよ
「細石」とも書くように、さざれ石は小石のこと。
小石は長い時を経て巌(いはほ=大きい岩)になると、
古くから信じられていたようです。
現在日本各地に見られるさざれ石は
「石灰質角礫岩(かくれきがん)」が正式名称だそうで、
石灰質が溶け出して小石と小石をつなぎ、大きい固まりになったもの。
自然にできたコンクリート塊のような外観をしています。
どんな小石でも岩になるわけではないので、
雅経の予測が当たったかどうかは不明。
しかしさざれ石は長い時間の比喩として用いられ、
さらにはめでたいものの象徴として
賀歌(がのうた)によく詠われてきました。
さざれ石の思い
しかし例外もあります。たとえば、
式子内親王(しょくしないしんのう 八十九)は
さざれ石を恋の歌に詠んでいます。
さざれ石のなかの思ひの うちつけに燃ゆとも人に知られぬるかな
(続古今和歌集 恋 式子内親王)
岩になるという話はなく、さざれ石の中に火があると考えて
「思ひ」の「ひ」を「火」に掛けています。
「うちつけ=突然」は「打ちつけ」と掛けてあり、
金属に打ちつけて火を出す燧石(ひうちいし)のことだとわかります。
心の中に秘めた思いがいきなり燃え出す。
石の中の火が、打ちつけると外に出てくるように。
石さえロマンチックなものに思えてきますが、
この発想は内親王のオリジナルではありませんでした。
平安初期の女性歌人伊勢(いせ 十九)はこう詠んでいます。
浦ちかく浪の打ちよるさゞれ石の 中の思ひをしるやしらずや
(伊勢集 上)
海辺近く いつも波に洗われている細石のようなわたしですが
心の中の思い(=火=恋心)をあなたはご存じなのでしょうか
波に濡れる磯の小石は、おそらく涙に濡れる自分の心なのでしょう。
磯の小石には燧石に使える硬い石が混じっており、
濡れていても中には燃える思いを秘めていると。
おなじさざれ石でも、賀歌と恋歌では
ずいぶん趣が異なっていますね。