読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【226】あこくその梅


素直な貫之

江戸俳諧の二大巨匠が
紀貫之(きのつらゆき)を題にして
興味深い句を詠んでいます。

〇あこくその心もしらず 梅の花    芭蕉
〇阿古久曾のさしぬきふるふ 落花哉  蕪村

阿古久曾(あこくそ)は貫之の幼名。
芭蕉の句がベースにしているのは、もちろん
百人一首のこの歌です。

人はいさ心もしらず ふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
(三十五 紀貫之)

人の心は さあどうだかわかりませんが
古都では梅の花が昔と変わらない香りを漂わせていますよ

人の心は変わりやすいと詠んだ貫之。
しかし芭蕉は、貫之の心(=意見、感想)とは関係なく
梅の花は昔から(あなたが子どものころから)
無心に咲いているじゃありませんかと。

蕪村の句にある「落花(らっか)」は春の季語です。
通常は桜を指しますが、この場合は梅でしょうか。

まだ幼い貫之が指貫(さしぬき=貴族男子の袴)についた
花びらを払い落としている。それだけの情景ですが、
蕪村は子どもらしい無邪気な貫之を描いて
「人はいさ」と皮肉な歌を詠んだおとなの貫之と対比させたのです。

素直なかわいらしい男の子だった貫之。
芭蕉も蕪村もそれを知っているはずがありません。
しかし読み手は、ついその姿を想像してしまいます。


鬼の貫之

芭蕉とおなじころ、
伊丹に上島鬼貫(うえじまおにつら)という俳人がいました。

雨の日に人に招かれた鬼貫、
貫之の画を飾ってある部屋に通されて
一句できないかと言われたそうです。

庭に白梅があるのを見た鬼貫のとっさの一句が

〇雨雲の梅を星とも 昼ながら     鬼貫

今は昼であり、雨雲が空を覆っているけれど、
庭の白梅を星に見たてて楽しみましょうかと。

この句は貫之の登場する謡曲(=能)
『蟻通(ありどおし)』を踏まえています。

曲の前半、玉津島(たまつしま)神社に向かう貫之は
蟻通明神の社(やしろ)に気づかずに前を通り過ぎてしまい、
明神の化身である老人にとがめられます。

窮地の貫之が詠んだのが

雨雲の立ち重なれる夜半なれば ありとほしとも思ふべきかは

雨雲が幾重にも重なる夜中のことですから
蟻通明神があるなどと(星があるなどと)思うでしょうか

掛詞(かけことば)で切り抜けようとしたわけですが、
明神はこの歌に大喜び。
話はめでたしめでたしで終わります。

ところで鬼貫という雅号は、
「鬼の貫之」という意味なのだといわれています。

和歌の世界の貫之に相当する、
俳諧の貫之と呼ばれるようなビッグな存在になりたい。
そんな野望を込めた名前だったのだと。

この話、おそらく本当でしょう。
貫之の名に「鬼」をつけた発想もすごいと思いますが、
八百年後の俳人にそれほど憧れられていた貫之も、すごいですね。