『小倉百人一首』
あらかるた
【227】王朝和歌の先駆者
万葉巻尾を締める祝賀の歌
全二十巻におよぶ日本最古の歌集『万葉集』。
その最後の最後に載っているのは
大伴家持(おおとものやかもち 六)のこの歌です。
あらたしき年の始めの初春の 今日降る雪のいや頻(し)け吉事
(万葉集巻第二十 4516 大伴宿祢家持)
新たな年の始めの初春の今日 降りしきるこの雪のように
吉事(よごと=よいこと)がつづきますように
天平宝字三年(759年)正月一日の宴で詠まれたもので、
場所は因幡国庁と記してあります。
家持はこのとき因幡守(いなばのかみ)でしたから、
現在の鳥取県東部に赴任していたことになります。
元日の儀礼の後、部下たちとの宴席で
当時の天皇(淳仁天皇=天武の孫)の治世の
幸多からんことを願う歌を詠んだのです。
『万葉集』は八世紀初頭に編纂事業が始まり、
百年近い歳月をかけて完成したと考えられています。
まず原型ともいえる巻一、巻二が作られ、
続巻を付加するかたちで増補がつづき、二十巻に至ったのです。
そのうち巻十七から巻二十までの四巻は
「大伴家持集」と呼んでもよい内容になっており、
家持の歌日記だと指摘する人もあるほど、
ほとんどが家持の歌で占められています。
『万葉集』編纂は家持の死後もつづけられたようですが、
完成期に家持が大きな役割を果たしたことはまちがいないでしょう。
時空を超えた抒情詩人
家持は王朝和歌の先駆者といわれ、
繊細さ、優美さをそなえた作品を多く遺しています。
たとえば「春愁三首」と呼ばれるこの連作、
春の野に霞たなびきうら悲し この夕影にうぐひす鳴くも
(万葉集巻第十九 4290 大伴宿祢家持)
春の野に霞(かすみ)が漂い なんとなく悲しい気分になる
そんな夕暮れの光のなかに うぐいすも鳴いているよ
わがやどのいさゝ群竹吹く風の 音のかそけきこの夕べかも
(万葉集巻第十九 4291 大伴宿祢家持)
我が家のささやかな竹の茂みを吹きぬける風の
その音がかすかに聞こえるこの夕暮れよ
うらうらに照れる春日にひばり上がり 心悲しも独りし思へば
(万葉集巻第十九 4292 大伴宿祢家持)
うららかに注ぐ春の日射しのなかを雲雀は飛び立っていく
ひとり悩むわたしの心は悲しみに沈んでいく
愁いは秋の定番のように詠われますが、
家持は春の夕暮れに物憂さ、うら悲しさを感じたのでしょう。
「うらうらに」の歌は夕暮れの悲しさを
歌で払いのけようとして作ったと左注にあり、
実景描写でなかったことがわかります。
前二首も「興に依りて作る」と記してあるので、
こちらも心に浮かんだイメージだったのかも。
これらの歌は『万葉集』らしくないどころか、
近代浪漫派詩人のような鋭敏な感性を示していますね。
作者名や時代背景などの予備知識なしでも
ストレートに読み手の心にとどく普遍性。
家持は時空を超えた抒情詩人だったのです。