読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【234】もがな・もがも


願望の「もがな」

百人一首には終助詞「もがな」を使った歌が五首あります。
これらはいずれも願望を詠んだもの。
源実朝(みなもとのさねとも)の歌に出てくる
「もがも」も意味は同じで、こちらは
「もがな」の古いかたちです。

世の中は常にもがもな 渚こぐ海人の小舟の綱手かなしも
(九十三 鎌倉右大臣)

世の中はずっと変わらずにいてほしいものだ
渚を漕ぐ漁師の小舟が綱手に曳かれる
(そんなふだんと変わらない)光景に心が動かされるよ

詠嘆の「な」がついて「もがもな」になっていますが、
百人の中では時代の新しい実朝が、古い言葉を使っているわけです。

これは実朝が『万葉集』に傾倒していたことを示す一例。
実際の万葉歌人大伴家持(おおとものやかもち 六)に
こういう歌があります。

雪の上に照れる月夜に 梅の花折りておくらむ愛しき児もがも
(万葉集 巻十八 4134 大伴宿禰家持)

雪が明るく照らされた月夜に 梅の花の咲く枝を折って贈れるような
かわいい恋人がいればよいのに

「愛しき児(はしきこ)」を直訳すれば
「いとしい彼女」でしょうか。

同じ梅の花でも、家持の父大伴旅人(たびと)には
こんな一首があります。

我が宿に盛りに咲ける梅の花 散るべくなりぬ見む人もがも
(万葉集 巻五 851 大伴旅人)

我が家の花ざかりだった梅の花が 散りそうになってしまったよ
見ようという人はいないかな

どちらも分かち合う相手が欲しいというのですが、
旅人は年齢も性別も不問のようですね。


冗談まじりの「もがな」

願望をあらわす「もがな」は、さまざまな場面で用いられます。
たとえば光孝天皇(十五)は遍昭(へんじょう 十二)の
七十歳を祝う算賀(さんが)でこのように詠んでいます。

かくしつゝとにもかくにもながらへて 君が八千代に逢ふよしもがな
(古今和歌集 賀 光孝天皇御製)

このようにして なんとかかんとか長生きをして
あなたの八千歳(=長寿)を見届ける方法があればなぁ

天皇という身分にしてはざっくばらんな印象ですが
遍昭は桓武(かんむ)天皇の孫であり、
光孝天皇とは幼なじみでした。

遍昭が天皇に贈った歌もあります。
遍昭が座主(ざす)を務めていた花山寺(かざんじ)を
亭子法皇(ていじほうおう=譲位・出家後の宇多天皇)が訪れました。
その際、帰途につく法皇に名残を惜しんで詠んだもので

まてといはゞいともかしこし 花山にしばしと鳴かむ鳥の音もがな
(拾遺和歌集 雑春 僧正遍昭)

(お帰りになるあなたに)待てと言うのは あまりに畏れ多いこと
この花山(はなやま)に「しばし」と鳴くような
鳥の声があればよいのですが

「しばし」という鳴き声の鳥がいたら、
自分の代わりに引きとめてくれるだろうと。
畏れ多いと言いながらこのユーモア、
ふたりの親しさが想像できますね。