読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【238】葵祭と恋の歌


祭りの日の出会い

葵祭(あおいまつり)の名で親しまれている
上賀茂神社、下鴨神社の祭礼賀茂祭(かものまつり)。
平安時代には祭といえば賀茂祭を指すほどであり、
その行列は華麗をきわめたものだったと伝えられます。

『源氏物語』や『枕草子』も賀茂祭の華やかさを描き、
行列を見るために多くの群衆が道を埋めつくしたと記しています。

多くの人が集まる祭は出会いの場でもありました。
藤原定頼(ふじわらのさだより 六十四)は
祭で見かけた女にこんな歌を、
葵の枝につけて贈っています。

千早振る神のしるしと頼むかな 思ひもかけぬけふの葵を
(新後拾遺和歌集 恋 中納言定頼)

これこそ神の霊験(=ご利益)だと信じましょう
思いがけず今日があなたと逢う日になったことを

葵(あふひ)を「逢ふ日」と掛詞にした恋の歌。
定頼と女が旧知の間柄だったのか初対面だったのかは、
恋多き貴公子のことなのでわかりません。

次は一条天皇の中宮定子(ていし)に仕えていた、
馬内侍(うまのないし)という女房が男に贈った歌。

《詞書》
むかし見ける人 賀茂祭の次第司に出で立ちてなむ
まかりわたるといひて侍りければ

君しまれ道の往き来をさだむらむ 過ぎにし人をかつ忘れつゝ
(新古今和歌集 恋 馬内侍)

あなたでさえ祭の道中を監督することができるのね
過去の人(=かつての恋人だったわたし)を
こんなふうに忘れているそのいっぽうで

詞書にある次第司(しだいし)は臨時の官職で、
祭のときなどに任命されて行事の次第や行列の往来を司ります。

恋人をほったらかしているあなた、
恋の後始末さえできないあなたが、
祭の一部始終を取りしきることができるなんて意外だわと。

内侍は行列を見に行って、
かつての恋人が活躍する姿を目にしたのかもしれません。


忘られぬ昔の「あふひ」

馬内侍は清少納言(六十二)の同僚でしたが、
清少納言の恋人だったといわれる藤原実方(さねかた 五十一)は、
祭の日にこういう歌を女に贈っています。

いにしへのあふひと人は咎むとも なほそのかみのけふぞ忘れぬ
(新古今和歌集 恋 実方朝臣)

古い枯れた葵(=昔の逢瀬)ではないかと他人はとがめるけれど
それでもあのころの今日(祭の日=逢った日)を忘れられましょうか

歌には枯れた葵が添えてありました。
愛しあったのはこの葵のように古い話に、昔のことになってしまった。
それでもあのころのことが忘れられないと。

女からの返歌はこういうものでした。

かれにける葵のみこそかなしけれ あはれと見ずや賀茂のみづがき
(新古今和歌集 恋 よみ人知らず)

枯れてしまった葵(=なくなってしまった逢う日)が悲しいわ
哀れと思いませんか 賀茂の瑞垣(みずがき)よ

「かれる」は「枯れる」と「離(か)れる」の掛詞です。
神社の生垣を指す「みずがき」は「見ず」をひびかせており、
枯葉しかよこさない、会いに来ない男への不満をにじませています。

昔日の恋を思って感傷にひたっていたのに、
チクリと痛い返事がきてしまった…。
実方の苦笑いが見えるようです。