読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【239】難読地名の古都


読めない駅名「うねび」

ある調査によると、
難読駅名ランキングの関西の部第一位は
JR西日本の「畝傍(うねび)」駅だったとか。
この駅は奈良県橿原(かしはら)市にありますが、
橿原もまた代表的な難読地名と言われつづけています。

橿原も畝傍も日本古代史には欠かせない地名。
歴史ファンにはちょっとフクザツな思いが…。

という嘆きはさておき、
橿原市のほぼ中央にある畝傍山は
大和三山(やまとさんざん)のひとつとして
国の名勝に指定されています。

あとふたつは耳成山(みみなしやま)と
香具山(かぐやま:香久山とも)であり、
持統・文武・元明の代に十六年続いた藤原京は
この三山に囲まれた場所にありました。

藤原京の大極殿(だいごくでん)跡から見ると、
背面にあたる北側に耳成山があり、
南西に畝傍山、南東に香具山を望むことができます。

持統天皇(二)が「白妙の衣」を詠んだ香具山は意外に近く、
山が見えるのはもちろん、
干してある衣も見えたのではないかと思われます。


大和三山の三角関係

大和三山をめぐっては、天智天皇(一)が
ふしぎな歌を遺しています。

香具山は畝傍を惜しと 耳成と相争ひき
神代よりかくにあるらし 古(いにしへ)も然(しか)にあれこそ
うつせみも嬬(つま)を争ふらしき
(万葉集巻第一 13 中大兄)

香具山は畝傍山を愛しいと思って耳成山と争った
神代の昔からこんなことがあったらしい
昔からそうだったのだから 今の世の人間たちも
妻をめぐって争うのだろう

畝傍山が女であり、男である香具山と耳成山が
それを奪い合ったというふうに受けとれます。
しかし山そのものが争ったのではなく、
それぞれの山の神が争ったという解釈もあります。

そのような伝説なり神話なりが伝えられていて、
天智天皇はうつせみ(うつしみ=現身=この世の人)の恋の争いを
無理からぬことと詠んだのだというのです。

この歌にはさらに別の深読み解釈があり、それは
中大兄(なかのおおえ)時代の
自分自身の三角関係を反映しているというもの。

それによれば畝傍山は額田王(ぬかたのおおきみ)であり、
香具山と耳成山は中大兄と弟の大海人(おおあま)ということになります。
兄弟皇子の恋のさや当ては史実として認められているので、
この解釈もロマンチックな空想とは言い切れません。

真相ははたして…。