読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【240】姿なき訪問者


声はすれども姿は見えず

声はして雲路にむせぶほとゝぎす 涙やそゝぐ宵のむらさめ
(新古今和歌集 夏 式子内親王)

(姿は見えず)声だけは聞こえている
雲の通り道でむせび泣くほととぎすよ
その涙が降り注いでいるのでしょうか
今宵のにわか雨は

日が暮れてから降り出したにわか雨を
ほととぎすの涙じゃないかしらと詠んだ、
式子内親王(しょくしないしんのう 八十九)の一首です。

雲路(くもじ)は
雲が通るほど高いところにある空中の道を指します。
ここは鳥たちも通ると考えられていたので、
内親王が聞いたのはその夏初めてやってきた
ほととぎすだったのかもしれません。

ところで、鳥のさえずりを
人の言葉に置き換えて聞くのを聞きなしといい、
ほととぎすは「特許許可局」という聞きなしが知られています。

実際そうとしか聞こえないのですが、
鎌倉時代には特許も許可局もなかったわけで、
知らないものに聞きなすことはできません。

「てっぺんかけたか」という聞きなしもありますが、
こちらが鎌倉時代からあったかどうかは不明。
内親王の耳にはどんなふうに聞こえていたのでしょう。


リアル光源氏の機知

内親王の歌にほととぎすの姿は出てきません。
百人一首の藤原実定(さねさだ)もまた、
声を聞いただけでした。

ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞのこれる
(八十一 後徳大寺左大臣)

ほととぎすの鳴いた方を眺めると
(もはやその姿はなくて)ただ有明の月だけが残っていたよ

ほととぎすは夜間にも鳴くので、
実定は夜の間中眠らずに待っていました。
ようやく鳴いたなと思ってそちらを見たら
有明の月が残っていた、つまり朝になっていたというのです。

ほととぎすを待つという歌題は
歌会や歌合で必ずと言ってよいほど出されるため、
歌人たちはそれぞれ工夫を凝らし、競い合ってきました。

発想のおもしろい歌が多いのはそのためでしょう。
たとえばこの源有仁(みなもとのありひと)の一首、

恋すてふなき名やたゝむ 郭公待つにねぬ夜の数しつもれば
(金葉和歌集 夏 内大臣)

恋しているといううわさがたつことだろうな
ほととぎすを待って寝ない夜がつづいていると

幾夜も夜明かしをつづけていたら
誤解を生んでしまうんじゃないだろうかと。

花園左大臣の通称で知られる有仁は後三条天皇の孫にあたります。
博学多識で諸芸に優れており、容姿端麗でもあったため、
光源氏が現実の姿で現れたと評されたとか。
今ふうにいえば「リアル光源氏」といったところでしょう。

遺された歌を見るとどこかしらユーモラスなものが多く、
機知に富んだ人物だったんだろうなと思わせます。