読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【193】自薦と他薦


俊恵の自薦代表歌

平安末期の僧侶歌人俊恵(しゅんえ)は
源経信(みなもとのつねのぶ 七十一)の孫で
源俊頼(としより 七十四)の息子。
歌壇の主導的役割を担ったのも祖父や父と同じです。

京都白川の歌林苑(かりんえん)を拠点に多くの歌人と交流し、
その援助者となったことでも知られています。

百人一首に採られているのはこの歌です。

夜もすがらもの思ふころは明けやらで ねやのひまさへつれなかりけり
(八十五 俊恵法師)

一晩中つれないあなたを思って嘆いているこのごろは
なかなか夜は明けず 寝室の戸の隙間まで無情に思えます

選んだのはもちろん藤原定家(九十七)ですが、
俊恵自身がいちばん自信をもっていたのは別の歌でした。
鴨長明の歌論書『無名抄(むみょうしょう)』によれば、
本人は次の歌を代表作と考えていたのだとか。

み吉野の山かきくもり雪降れば ふもとの里はうちしぐれつゝ
(新古今和歌集 冬 俊恵法師)

吉野山が曇って(よく見えないほどに)雪が降ると
ふもとの里は時雨がちになることだよ

「つつ」は継続、反復をあらわす接続助詞。
この歌ではそれが最後に置かれることで詠嘆の響きを持っています。
それにしても、俊恵はこの歌になにか思い入れがあったのでしょうか。
詞書(ことばがき)がないので状況をうかがい知ることができません。


勅撰集選者の選んだ吉野山

おなじ「みよしのの」で始まる歌では、
藤原俊成(八十三)は『千載和歌集』にこの歌を採っています。

み吉野の山した風やはらふらむ こずゑに帰る花のしら雪
(千載和歌集 春 俊恵法師)

吉野山の下を吹く風が吹きはらったのだろう
白雪が木々の梢こずえに帰った(=再び雪がつもった)かのように
花が咲いていることだよ??

実際は花が咲いているのですが、その花は
ふもとを吹く風が巻き上げて木々に積もらせた雪のようだと。
花を雪に見立てたところがこの一首の面白みでしょう。

いっぽう藤原定家は『新勅撰和歌集』に次の歌を選んでいます。

み吉野の花のさかりと知りながら 猶しら雲とあやまたれつゝ
(新勅撰和歌集 春 俊恵法師)

吉野山が桜の花盛りだと知ってはいるのだが
それでもなお 山に白雲がかかっているのだとまちがえてしまうよ

興味深いことに俊成と定家は親子ともども
見なし、見まちがいの歌を選んでいます。
理屈っぽい印象のある自薦歌よりこちらのほうが面白いのはたしか。

俊恵にかぎらず、
自薦の代表作と他人の考える代表作は食いちがうのがほとんどです。
愛着のほどは本人にしかわからないのですね。