『小倉百人一首』
あらかるた
【194】面倒見のよい赤染衛門
いさめをきかない和泉式部
赤染衛門(あかぞめえもん 五十九)は
良妻賢母ぶりを伝える数々のエピソードが伝わっていますが、
人に代わって歌を詠んだ代詠(だいえい)が多いことから
面倒見のよい人物でもあっただろうという見方があります。
少なくとも社交的な女性だったことはまちがいないようで、
勅撰集や家集などをみるとじつに多くの人々と歌を詠み交わしています。
『新古今和歌集』には
和泉式部(五十六)とのこんなやりとりが。
《詞書》
和泉式部、道貞に忘られてのち
ほどなく敦道親王かよふと聞きてつかはしける
うつろはでしばし信太の森を見よ かへりもぞする葛のうら風
(新古今和歌集 雑 赤染衛門)
心がわりしないでしばらく和泉の信太(しのだ)の森を見ていなさい
葛(くず)の葉が風にひるがえるように
あの人が帰ってくるかもしれないのだから
詞書(ことばがき)にある道貞(みちさだ)は
和泉式部の夫だった橘(たちばな)道貞のことで、
和泉守(いずみのかみ)に任じられていました。
敦道(あつみち)親王は冷泉院の第四皇子。
式部との不倫スキャンダルで世を騒がせた人物です。
「信太の森」という歌枕は和泉国を示しますから、
しばらく道貞の動向を見ていなさいと勧めているのですね。
しかし式部からの返事はこういうものでした。
秋風はすごく吹けども 葛の葉のうらみがほには見えじとぞ思ふ
(新古今和歌集 雑 和泉式部)
秋風はおそろしいほどに吹くけれども
風にひるがえる葛の葉は恨み顔には見えないと思いますわ
「秋」は「飽き」との掛詞(かけことば)、
「うらみ」も「恨み」と「裏見」を掛けています。
ひるがえる葉の裏(=式部の本心)が見えても夫は恨まないだろうと、
自分の心がわりを正当化しています。
式部がいさめをきかなかったことをみると、
赤染の歌はおせっかいで終わってしまったようです。
赤染を頼る伊勢大輔
いっぽうで赤染を頼りにしていたのが
伊勢大輔(いせのたいふ 六十一)でした。
家集『伊勢大輔集』にこのような応答が載せられています。
《詞書》
三ゐうせてかやうのことも尋ねまほしうて
あとくれて昔こひしき 敷島のみちをとふとふ尋ねつるかな
(伊勢大輔集)
父亡きあと途方にくれて昔を恋しいと思い
(父に教えられた)敷島の道(=和歌の道)について
あなたを訪問しておたずねするしだいです
詞書の「三位(さんゐ)」とは
父親の大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)のこと。
優れた歌人だった父を亡くして、
このようなこと(=和歌に関すること)を(父の代わりに)
あなたに教えていただきたいというのです。
赤染からの返事はこういうものでした。
やへ葎たえぬる道とみつれども 忘れぬ人はなほ尋ねけり
(伊勢大輔集)
葎(むぐら)が幾重にも茂って絶えてしまった道に見えたけれど
忘れていない人はそれでも尋ねてくれたのですね
赤染衛門、こんどは頼りになる同僚ぶりを発揮しています。
大輔もわざわざやりとりを書きのこしたのですから、
よほど嬉しかったのでしょう。