読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【199】関のへだてるもの


逢坂の関に関守はいたのか

蝉丸(十)や清少納言(六十二)の歌に詠まれている
逢坂(おうさか)の関は、和歌に欠かせない歌枕のひとつです。
藤原定方(さだかた 二十五)の歌には逢坂山が出てきますが、
この山が畿内(きない)と近江(滋賀)をへだてており、
そこに関所が設けられていたのです。

関所というからには関守がいて、
通行人に厳しく目を光らせていたように思いがち。
しかし平安末期の神職祝部成仲(はふりべのなりなか)は
夜中に逢坂の関を通ってこんな歌を詠んでいます。

あふ坂の関には人もなかりけり 岩間の水のもるにまかせて
(千載和歌集 羇旅 祝部成仲)

逢坂の関には人の姿もなかったよ
岩の間から水が流れ出しているばかりで

人がいないのでは関所の役を果たしていないことになりますが、
逢坂の関は廃止と再開を繰り返しており、
名ばかりの時期もあったのです。

「関西」の「関」は逢坂の関を示し、
畿内の人々は逢坂の向こう側を「東」と考えていました。

関守の姿はなくてもここが境界だという意識は消えることなく、
東へ向かう人々はいよいよ旅に出たなと気を引きしめ、
都にもどる人々はようやく旅を終えたなと安堵したのでした。

かぎりあれば八重の山路をへだつとも 心は空にかよふとを知れ
(玉葉和歌集 旅 前中納言匡房)

きりがないのでお別れしますが 幾重もの山路をへだてていても
心は空を通ってあなたとつながっていると思ってください

これは大江匡房(おおえのまさふさ 七十三)が
親しい人を逢坂の関まで見送っていって詠んだという一首。
逢坂の関が送り迎えの場所でもあったことを示しています。


恋の難関

地理的なへだて、境界である関は
心理的なへだてや障害のたとえに用いやすく、
恋の歌にも多く詠まれています。

あふさかは東路とこそきゝしかど 心づくしの関にぞありける
(後拾遺和歌集 恋 左京大夫道雅)

逢坂の関は東(あづま)への路と聞いていたけれど
(=あなたを吾妻(あづま)とすることができると思ったけれど)
あの関は心が尽きてしまう筑紫(つくし)の関だったのだ

藤原道雅(みちまさ 六十三)の一首。
百人一首所収の「今はただ」と同時期に詠まれたもので、
「関」が巧みに用いられています。

道雅の恋人は三条天皇(六十八)の皇女という高貴すぎる女性でした。
それだけでも難関(=容易に通過できない関所)ですが、
秘密の関係が露見して天皇の怒りを買うことになってしまいました。

皇女には見張りがつけられて再び会うことはかなわず、
出世の途まで閉ざされてしまった道雅。
危険な関を越えてしまったことへの後悔がにじみます。