読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【200】売れっ子歌人興風


古今和歌集の典型歌人

『古今和歌集』は繊細優美で理知的、
『新古今和歌集』は華麗で技巧的、というふうに
辞書の類には歌集の特徴が記されていることがあります。

各歌集の平均的な歌風をそのように表現しているので
すべてが当てはまるわけではありませんが、
なかには典型的な歌を詠んでいる人がいます。

『古今和歌集』から
藤原興風(ふじわらのおきかぜ 三十四)を見てみましょう。

春霞色のちぐさに見えつるは たなびく山の花のかげかも
(古今和歌集 春 藤原興風)

春霞の色がさまざまに見えているのは
霞がたなびく山に咲いている花々の影なのだろう

霞が乳白色だけでないのに気づいた興風、
色さまざまに咲く春の花の色が霞に映っているのだろうと
文字どおり理知的な推理をしています。

また

ちぎりけむ心ぞつらき 織女の年にひとたびあふはあふかは
(古今和歌集 秋 藤原興風)

約束したであろうその心がつらい
織女(←たなばたと読む)が年に一度だけ(牽牛と)会うというのは
会ううちに入らないではないか

この七夕の歌は古今和歌集の特徴とされる
明快さも備えているといえるでしょう。


歌合の常連だった興風

興風の名はさまざまな歌集で
役職も尊称もつかない呼び捨ての状態で書かれています。
六位という低い身分のままだったためで、
生涯についての記録がなく、生没年もわかっていません。

ただ歌人としては宇多天皇に認められるほどの実力者であり、
数々の歌合(うたあわせ)に招かれて歌を詠んでいます。
前出二首は宇多天皇の寛平(かんぴょう)年間に
班子女王(はんしじょおう=宇多天皇の母)が主催した
歌合で詠まれたものでした。

次の歌は宇多天皇の息子
醍醐天皇の延喜(えんぎ)十三年(913年)に行われた
歌合で詠まれたもの。
天皇が代替りしても興風人気は衰えなかったようです。

ちりはてゝ花なき時の花なれば うつろふ色の惜しくもあるかな
(続千載和歌集 秋 藤原興風)

ほとんどの花が散ってしまい
花のない時期に咲く(菊の)花ですから
衰えていくその美しさがいっそう惜しく思えるのです

最後に歌合ではない、つまり
実体験かもしれない歌を一首。

わが恋を知らむと思はゞ 田子の浦にたつらむ波の数をかぞへよ
(後撰和歌集 恋 藤原興風)

わたしの恋心がどれほどのものか知りたいと思うなら
田子の浦に立つであろう波の数をかぞえてみなさい

「あなたは本気なのかしら」と言ってきた恋人に、
波を数えてもきりがないように
わたしの恋心は尽きることがないんだと応えています。

もしかして興風は、
恋のほうでもモテモテだったのかもしれません。