『小倉百人一首』
あらかるた
【205】父の名は「まれ」
一文字源氏
百人一首に参議等(さんぎひとし)の名で載る
源等(みなもとのひとし 三十九)は
嵯峨天皇(在位809~823)の曽孫(ひまご)にあたります。
父親の名は希(まれ)、
祖父の名は弘(ひろむ)といって、嵯峨天皇の皇子でした。
弘の異母弟には河原左大臣(かわらのさだいじん)と呼ばれた
源融(みなもとのとおる 十四)がいます。
一文字の名前ばかりですが、
嵯峨天皇の子で源の姓を賜って臣籍に下った人たちと
その子孫(=嵯峨源氏)には、一文字の名前が非常に多いのです。
融、等以外の主要人物では
・源信(まこと)
嵯峨天皇の第七皇子。臣下として左大臣にまで昇進しており、
嵯峨源氏最初の大物政治家といわれることも。
・源常(ときわ)
信の弟で同じく左大臣に昇進。信、弘、定(さだむ)と常は
朝廷政治を主導するほどの勢力となりました。
・源順(したごう)
平安中期を代表する学者。日本初の百科事典ともいわれる
『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう』を編纂。
ちなみに父の名は挙(こぞる)です。
めずらしい名前の人物として浮(うかぶ)や鎮(しずむ)、
唱(となう)、生(いける)、舒(のぶる)などがいますが、
列挙するだけで字数が尽きてしまうので、ほどほどにしておきましょう。
等の歌は本歌取り
等の百人一首所収歌は
浅茅生(あさぢふ)の小野の篠原 しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
(三十九 参議等)
浅茅の生える小野の篠原ではないが 忍んでも忍びきれない
どうしてこれほどにあなたが恋しいのでしょう
篠竹(しのだけ)は茅萱(ちがや)より背が高いので
隠れようとしても丈があまり、見えてしまいます。
等はそのようすを忍びきれない恋の思いにかさねています。
第二句までが序詞(じょことば)なのですが
比喩としてわかりやすく、「篠」と「しの」の同音反復も
手本になるほど効果的です。
ところでこの歌は
『古今和歌集』にあるよみ人知らずの本歌取り。
浅茅生の小野の篠原 しのぶとも人知るらめやいふ人なしに
(古今和歌集 恋 よみ人知らず)
第三句まではほとんどおなじですね。
本歌はだれも言わなくても知られてしまうだろうと詠んでいますが、
等の歌には切実な思いが込められています。
最後にもうひとつ序詞を活かした歌を
東路のさのゝふなはし かけてのみ思ひわたるを知る人のなき
(後撰和歌集 恋 源等朝臣)
東路(あずまじ)の佐野の舟橋をかけるように
心にかけて恋しく思いつづけているのを
知る人がいない(=あなたは気づいていない)のですね
船を並べた上に板をかけて作るのが舟橋。
それを序詞として「かけて」を導いています。
「橋」と「かける」「わたる」は縁語であり、
よく考えられているのに
こちらは百人一首に採られませんでした。
定家は「浅茅生」の本歌取りを評価したのかもしれません。