『小倉百人一首』
あらかるた
【207】長唄になった周防内侍
和歌を引用した恋の歌
江戸時代前期に書かれた長唄(ながうた)に
このような歌詞の曲があります。
照りもせず曇りもやらぬ 月は朧(おぼろ)の春の夜の
夢ばかりなる手枕(たまくら)に 君が浮名(うきな)やかひなく立たん
とかく人目のしげしげなれば 忍ぶ山みち忍びて通ふ…
市川検校(いちかわけんぎょう)作『手枕』の出だしの部分で、
百人一首歌人の引用から始まっています。
最初の「照りもせず」は大江千里(おおえのちさと 二十三)です。
照りもせず曇りもはてぬ 春の夜の朧月夜にしくものぞなき
(新古今和歌集 春 大江千里)
照るわけでもなく曇ってしまうのでもない春の朧月夜
これに比べられるほどのものはほかにないだろうな
この歌は『源氏物語』の「花宴(はなのえん)」で
朧月夜の君が口ずさみ、危険な恋のきっかけとなったもの。
検校はそれを恋の歌の導入部に置いたのです。
そして「春の夜の」の五文字が掛詞(かけことば)のように
周防内侍(すおうのないし)の歌を導いていきます。
春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ
(六十七 周防内侍)
短い春の夜の夢にすぎない手枕のせいで
つまらない浮き名が立ったりしたら残念ですわ
時代の流れを映して
曲が作られた時点で、
千里は八百年ほど前、周防内侍は七百年ほど前の歌人でした。
長唄『手枕』はその後もあれこれ引用をつづけ、
厳密ではないようですが、しだいに引用元が新しくなっていきます。
一夜(ひとよ)こねばとて とがも無き枕を縦な投げに
横な投げに なよな枕よ なよ枕…
恋人が一夜来なかったといって罪もない枕を投げたというのですが、
この部分は室町歌謡の引用です。
『閑吟集(かんぎんしゅう)』にあるもので、
待宵(まつよひ)に枕な投げそ 投げそ 枕に咎(とが)もなや
『閑吟集』には投げやりな歌が多く、
世相を反映しているのだろうといわれています。それにしても、
ほんとうに物を投げてしまう歌が_あるのはおどろきです。
長唄は歌舞伎舞踊の伴奏音楽から発展したという三味線音楽。
お囃子(はやし)をともなってはなやかに歌われていたのだそうです。
庶民向けの芸能であり、ほぼすべてが粋で艶っぽい内容です。
しかしその歌詞を見ていくと、このように
およそ八百年に及ぶ和歌・歌謡が活かされた曲があり、
途絶えることのない伝統を感じさせます。