『小倉百人一首』
あらかるた
【209】物言う木の葉たち
猪名の笹原はどこにある
紫式部(五十七)の娘大弐三位(だいにのさんみ)の歌は、
最近来なくなった男から
あなたこそ心変わりしたんじゃないかと言われ、
反論として詠んだものでした。
有馬山ゐなの笹原かぜ吹けば いでそよ人を忘れやはする
(五十八 大弐三位)
有馬山から猪名(いな)の笹原に風が吹いてくると
笹はそよそよと音を立てるでしょう
(その「そよ」じゃないけれど)ほら そうよ そうですよ
あなたを忘れたりするものですか
現在の地図から「猪名の笹原」を探してみると、
伊丹市内、猪名川の西側に「笹原」と名のつく中学校がありました。
このあたりから「有馬山」は西の方向にあたるので、
笹を揺らしたのは西風だったのでしょう。
ところで、伊丹市はかつての笹原の面影を再現しようと、
モデル園を作って公開しているそうです。
笹ばかりではないゆたかな草原だったといい、
かつては荻や萩、女郎花(オミナエシ)、吾亦紅(ワレモコウ)など、
多彩な四季の植物が茂っていたのだとか。
大弐三位の歌は第三句までが「そよ」を導く序詞なので、
風が吹くのはどこでもよさそうです。
しかし歌枕にもなっている有馬山を詠みこんで
「あり=YES」を暗示し、
猪名に「否=NO」の意を含ませることで、
単なる序詞にとどまらない効果が生まれています。
木の葉たちの相談
「そよ」と「そうよ」を掛けた歌は多くないようですが、
『詞花和歌集』におもしろい作品がありました。
荻の葉にことゝふ人もなきものを 来る秋ごとにそよとこたふる
(詞花和歌集 秋 敦輔王)
荻の葉にものを尋ねる人はいないというのに
秋が来るたびにそうよと答えているなぁ
敦輔王(あつすけおう)の歌は
荻の葉が秋風に「そうよ」とうなずいているかのようです。
大弐三位の歌とちがって人間ではないわけですが、擬人化では
次の惟宗隆頼(これむねのたかより)も負けていません。
風吹けばならの枯葉の そよそよといひあはせつゝいづち散るらむ
(詞花和歌集 冬 惟宗隆頼)
風が吹くと楢(なら)の枯葉は
そうだそうだと言い合わせながら どこへ散っていくのだろう
風に吹かれた楢の葉が、申し合わせたかのように
一斉に散っていったのでしょう。
いつ散るか、どの方向に散るか、相談していたのだろうと。
冬の日のつかの間のできごとが、
隆頼の歌ではほほえましい一瞬に思えてきます。