『小倉百人一首』
あらかるた
【212】むつかしきものならなくに
ぼやきの言葉
百人一首にある河原左大臣源融(みなもとのとおる 十四)の歌と
藤原興風(ふじわらのおきかぜ 三十四)の歌は、
ともに「ならなくに」で終わっています。
この言葉は前の語を否定するもの。
ふつうに「~ではない」というのなら「~ならず」でよいのですが、
そこに「に」をつけて詠嘆の意味をもたせたために
打ち消しの「ず」が「なく」に変化したのです。
変換すると「奈良な国」になったり、
現代語とかけ離れているためわかりにくいのですが、
「~じゃないんだけどなぁ」とぼやいているのだと思えば
親しみがわくのではないでしょうか。
「ならなくに」は『万葉集』の時代から用例が見られ、
平安時代以降の「ならなくに」たるや、
文字どおり星の数ならなくに…。
いったい歌人たちはなにをそんなにぼやいていたのでしょう。
源兼昌(みなもとのかねまさ 七十八)は
こんなことをぼやいています。
水鶏ゆゑあけてくやしき妻戸かな 浦島が子のはこならなくに
(永久百首 夏 源兼昌)
それが水鶏(くいな)だったから 妻戸を開けてがっかりしたのさ
浦島太郎の箱(=玉手箱)じゃないんだけどね
水鶏は水鳥の一種で、その鳴き声が戸を叩く音に似ているのだとか。
訪問者かと思ったら水鶏の鳴き声だったというのですが、
期待して開けるものの例として
玉手箱を持ち出したのが兼昌のユーモア。
たしか玉手箱から出てきたのは煙だけ、でしたね。
敦忠のぼやき防止策
ぼやきの「ならなくに」はいくらでもあるので、
次は藤原俊成(しゅんぜい 八十三)のこの歌。
道とほくなにたづぬらむ山ざくら 思へばのりの花ならなくに
(久安百首 俊成)
山桜をもとめて どうしてわたしたちは遠くまで行くのだろう
考えてみれば それはお釈迦さまの教えほどに
尊いものではないのだが
法(のり=お釈迦さまの教え、仏法)は
花や月、雨、海、船などにたとえられます。
山桜はそんなにありがたい、尊いものではないけれど、
それでも遠路はるばる探しもとめて行ってしまうなぁと。
これはぼやきでも反省でもなく、詠嘆です。
そうかと思えば、
生涯を恋に費やした藤原敦忠(ふじわらのあつただ 四十三)は
密かに通っていた恋人にこのような歌を贈っています。
あふ事をいざ穂に出でなむしのすゝき 忍び果つべきものならなくに
(後撰和歌集 恋 敦忠朝臣)
ふたりの逢瀬(おうせ=密会)を いっそ知らせてしまいましょう
いつまでも内緒にしていられるものではないのだから
篠薄(しのすすき)はまだ穂の出ていない薄のこと。
その篠薄がいずれ穂を出すように
ふたりの関係もそのうち世に知れてしまうだろうから、
こちらから公表してしまおうと提案しているのです。
めずらしい例ですが、敦忠は
早いうちにおおやけにしておけば、
露見してぼやくことはないと考えたのでしょう