『小倉百人一首』
あらかるた
【214】伊勢に去った天武天皇
夫を偲ぶ大后
持統天皇(二)の「春すぎて」は
百人一首のなかでも屈指の人気作ですが、
遺された歌は少なく、確実に天皇の作とされるのは
ほんの数首にすぎません。
それも亡き夫、天武天皇を偲ぶものがほとんどで、
悲しみの深さが見てとれます。
やすみしゝ 我が大君の 夕されば 見したまふらし
明け来れば 問ひたまふらし 神岡の 山のもみぢを
今日もかも 問ひたまはまし
明日もかも 見したまはまし
その山を 振りさけ見つゝ 夕されば あやに悲しみ
明け来れば うらさび暮らし
あらたへの 衣の袖は 乾る時もなし
(万葉集巻二 159 持統天皇)
わが天皇(の御霊)は 夕方になるとご覧になっているでしょう
夜明けが来るとお尋ねになっているでしょう 神岡の山の紅葉を
今日もお尋ねになるでしょうに
明日もご覧になるでしょうに
(わたしは)その山を仰ぎ見ながら 夕方になるとひどく悲しみ
夜明けが来ると心寂しく過ごし
粗末な衣の袖は乾く暇もありません
「やすみしし」は大君にかかる枕詞。
「あらたへ」は「荒妙」「粗栲」などと書いて
目の粗い粗末な布を指します。喪服として着ていたのでしょう。
シンプルな内容の挽歌ですが、
対句が活かされて印象深い歌になっています。
ゆかりの伊勢
上記の歌の八年後、
内裏では天武天皇のための法会が行われました。
その際に持統天皇が夢に見て覚えたというのが次の一首。
明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしゝ
やすみしゝ 我が大君 たかてらす 日の御子
いかさまに 思ほしめせか かむかぜの 伊勢の国は
沖つ藻も なみたる波に 塩気のみ かをれる国に
うまこり あやにともしき たかてらす 日の御子
(万葉集巻二 162 持統天皇)
飛鳥の浄御原(きよみはら)の宮で天下をお治めになった
我が天皇 日の神の子よ
どのように思われてか 神風吹く伊勢の国の
沖の藻もならぶ波に 潮の香りばかりする国に(去って行かれた)
とても心惹かれます 日の神の子よ
天武天皇の死を「伊勢の国に去った」と表現していますが、
伊勢には朝廷の祖神が祀られています。
また夫妻は壬申の乱の際に伊勢神宮を味方につけて勝利しており、
祖神の土地という以上の縁の深さを感じていたことでしょう。
天武は天皇の宗教的権威確立のために伊勢神宮を重んじ、
その祭祀を国家事業とした人物でもあります。
式年遷宮を定めたのも天武天皇です。
持統天皇はこの歌を通じて、ふたりの足跡や
天武の功績にも思いを馳せていたのかもしれません。