『小倉百人一首』
あらかるた
【216】豊葦原瑞穂の国
稲作を詠んだ和歌
―実るほど頭の下がる稲穂かな―
すぐれた人物ほど謙虚であるということわざですね。
百人一首にある天智天皇(一)の「秋の田の」と
源経信(つねのぶ 七十一)の「夕されば」の歌は、
どちらも稲穂が頭を下げる季節を詠んだものでした。
稲作が始まるのは春の苗代(なわしろ)づくりからです。
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ 九十)は
そのようすをこのように詠んでいます。
みかくれてすだくかはづの声ながら まかせてけりな小田の苗代
(風雅和歌集 春 殷富門院大輔)
知らぬふりして群れている蛙たちの鳴き声もいっしょに
小田の苗代に水を引いてしまいましたよ
「ながら」は「そのまま」という意味。
「まかす」は「引す」とも書いて水を注ぎ入れること。
鳴いている蛙も水といっしょに田に引いてしまったというのです。
ユーモラスで、農民の喜びを代弁しているような歌ですね。
さて、苗代に蒔いた種籾(たねもみ)から苗が育つと、
田植のためにそれを抜きとる作業が始まります。
早苗とる山田のかけひもりにけり 引くしめ縄に露ぞこぼるゝ
(新古今和歌集 夏 大納言経信)
早苗を抜きとる山の田の筧(かけい)から水が漏れていた
引いてある標縄(しめなわ)には露のしずくがついているよ
源経信の歌です。
「かけひ(筧/懸樋)」は水を引くために
竹や木でつくった樋(とい)のことで、そこから水があふれている。
神聖な領域、禁域として苗代にめぐらせていた標縄には
したたるばかりの露が輝いている。
旧暦五月の梅雨の季節を詠んでおり、
日本の国土の水のゆたかさを感じさせます。
秋の田を守る
稲が育ってくると、農夫は田の脇に仮小屋を作って泊まり込みました。
天智天皇の歌にあるような
茅(かや)や菅(すげ)を編んだ苫(とま)で屋根を葺いた
簡素な小屋が一般的だったようです。
では、農夫はその小屋で何をしていたのか。
これも経信の歌が教えてくれます。
ひたはへてもるしめ縄のたはむまで 秋風ぞふく小山田の庵(いほ)
(続古今和歌集 秋 大納言経信)
稲を守るために引き板を下げて張り巡らせた縄がたわむほどに
山の田に建てた小屋に秋風が吹きつけているよ
「ひた(引板)」は鳴子(なるこ)のようなもので、
縄を引くとそれに吊り下げた板がカタカタと音をたて、
鳥や獣を追い払うという仕掛け。
経信の「夕されば」にある「あしのまろや」にも
農夫がいて、引板を下げた縄を引いていたのでしょう。
日本には
豊葦原瑞穂の国(とよあしはらみずほのくに)という美称があります。
これは稲作が古くから国を支えてきた証(あかし)。
経信たちの歌に感じられる親しみや敬意は、
稲作に対するそういった意識の反映なのかもしれません。