読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【173】恋のゆくえ


会ってくれない恋人に

時は九月の晦日、源俊頼(みなもとのとしより 七十四)が
思いを寄せる女性の家を訪れたところ、留守だという返事。
どこにいるのかと尋ねると知りませんと言われ、
俊頼は居留守ではないかと疑いをもったようです。

そこで、すごすごと立ち去るのも悔しいと思い、
こんな歌を詠みました。

惜しめどもたちもとまらぬ秋霧の 行方もしらぬ恋もするかな
(散木奇歌集 恋 俊頼)

消えていくのを惜しんでも立ち止まってくれない秋霧のように
あなたはどこかに消えてしまった
わたしはこの先どうなるか知れない恋をするのですね

晩秋の季節感を詠い込んだ恨みの歌。
内容的にはさほどめずらしくありませんが、
そこは俊頼、これだけでは終わりませんでした。


行方もしらぬ恋 別バージョン

俊頼は思いつくかぎりの「行方もしらぬ恋」を書き、
女性の家において帰ったのです。

風吹けば空にたなびくうき雲の ゆくへもしらぬ恋もするかな

山のはにあかずいりぬる秋の月 ゆくへもしらぬ恋もするかな

さほ山の嶺ふき渡るこがらしの ゆくへもしらぬ恋もするかな

さよなかに友よび交す雁がねの ゆくへもしらぬ恋もするかな

秋の野の本あらの萩におく露の ゆくへもしらぬ恋もするかな

山河のゐぐひにかゝるしら浪の ゆくへもしらぬ恋もするかな

よさの浦に島がくれゆく釣舟の ゆくへもしらぬ恋もするかな

もしほやく海士の苫屋に立つ煙 ゆくへもしらぬ恋もするかな

夕されば空にわかるゝむら鳥の ゆくへもしらぬ恋もするかな

風に吹かれる浮雲、見飽きないうちに山の端に沈む月、
紅葉の名所佐保山に吹く木枯らし、夜中に鳴き交わしながら飛ぶ雁、
まばらに茂る萩の葉に乗っている露、
堰杙(いぐい=川中の杭)にかかる白波、

与謝の海(=浦島伝説の地)の島に隠れて見えなくなる釣り船、
塩焼きをする海士(あま)の小屋から立ち上る煙、
そして、夕方になって別れていく群れの鳥たち。

秋霧を含めて十種類の行方の知れないものが揃っています。
ほんとうに短時間でこれだけ作ったのかと驚きますが、
ふつうならこれぞと思う一首のみおいていきそうなもの。

これを受け取った女性は笑ってしまったのかそれとも…。
肝腎のふたりの恋のゆくえは、
どこにも書いてありませんでした。