読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【177】つごもりの歌


入れ替わる季節

最初の勅撰『古今和歌集』は、夏歌の巻の巻末に
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)の
この歌を載せています。

〔詞書〕
みな月のつごもりの日よめる

夏と秋と行きかふ空のかよひぢは かたへ涼しき風や吹くらむ
(古今和歌集 夏 凡河内躬恒)

旧暦六月の最後の日、夏と秋とが入れ替わる日なので、
空の通路(かよいじ)では片側だけ涼しい風が吹いていることだろうと。
夏と秋が空ですれ違うと考えたところがおもしろいですね。

百人一首では藤原家隆(いえたか)が
おなじ六月のつごもりを詠んでいます。

風そよぐ楢の小川の夕ぐれは みそぎぞ夏のしるしなりける
(九十八 従二位家隆)

風に楢(なら)の葉がそよいで ならの小川の夕暮れは涼しいが
禊(みそぎ)のようすがまだ夏なのだと知らせてくれるよ

夕暮れどき、上賀茂神社の小川で身を清めている姿を見て、
涼しいけれどまだ夏なのだと知ったというのですが、
翌日の七月一日から暦の上では秋になるのです。


月末はいつも闇夜

古語「つごもり」は月がこもることを指し、
しだいに細くなった月が見えなくなってしまう日のこと。

「三十日(みそか)」を「晦日」とも書きますが、
「晦(かい)」の字には「暗い」という意味があります。
月の満ち欠けを基準にしていた旧暦(太陰暦)では
月末の夜空はかならず月のない暗い空だったわけです。

次の歌は九月のつごもりの日に紀貫之(三十五)が詠んだもの。

ゆふづく夜 をぐらの山に鳴く鹿のこゑのうちにや 秋はくるらむ
(古今和歌集 秋 紀貫之)

小暗い小倉の山に鹿の鳴く声がする
あの声の響くなかで秋は暮れていくのだろう

明日からは冬という、秋の最後の日に詠んでいます。
「夕づく夜」を「夕月夜」ととらえるとおかしなことになりますが、
ここでは「をぐら」にかかる枕詞になっています。
実際は暗い夜なのです。

毎月あるつごもりのうち、一年の最後にくるのが大つごもり。
和泉式部(五十六)はこんな歌を詠んでいます。

なき人のくる夜ときけど君もなし わがすむ宿やたまなきの里
(後拾遺和歌集 哀傷 和泉式部)

亡くなった人のもどってくる夜だと聞いているけれど
あなたの姿が見えないのは
私の住む家がたま(魂/霊)なきの里にあるからかしら

「たまなきの里」が実在したかどうかわかりません。
大晦日の夜には死者の霊が帰ってくるという俗信があったので、
式部は亡き恋人のことを思っていたのでしょう。

年の終わりである大つごもりはやはり特別。
式部以外にも感慨にふける内容の歌が多く詠まれています。

ちなみに「ついたち」は「月立ち」が語源。
月の満ち欠けが一巡してもとにもどる日であり、
こもっていた月が再び姿をあらわすという意味があります。