読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【180】浮き名とあだ名


恋のうわさ

周防内侍(すおうのないし 六十七)の手枕(たまくら)の歌は
つまらぬことで浮き名が立つのを恐れたもの。
相模(さがみ 六十五)の歌は
実態とはうらはらの浮き名を恐れる内容です。

浮き名は恋のうわさ。
しかし「あの人は多情な女だ」といわれることもあるわけで、
つらいうわさは「憂き名」と書いたりします。

『後撰和歌集』には小町孫(こまちがむまご)という人の
浮き名になやむ歌が載せられています。

〔詞書〕
あだ名たちていひさはがれけるころ
あるおとこほのかにきゝて
あはれいかにぞとゝひ侍りければ

憂きことを忍ぶるあめのしたにして 我がぬれぎぬはほせどかはかず
(後撰和歌集 雑 小町孫)

多情な女だといううわさを立てられていた頃、
大丈夫かと言ってきてくれた男に返事をしたのです。

つらいことを忍んでいる(=雨に濡れている)わたしの
濡れ衣は干しても乾かない(=弁明しても効果がない)のですと。

小野小町(九)に孫がいたのかという問題はさておき、
詞書(ことばがき)にある「あだ」は漢字では「徒」と書き、
誠意がないことや浮気なこと、ぞんざいなさまをいいます。
「あだな(徒名)」は好色だといううわさを指し、
「浮き名」と同じような意味で使われます。

小町に匹敵するといわれる恋の歌人
伊勢(十九)にもこのような歌があります。

〔詞書〕
おとこの「人にもあまた問へ
われやあだなる心ある」といへりければ

あすか川ふちせにかはる心とは みなかみしもの人もいふめり
(後撰和歌集 雑 伊勢)

男に「わたしに浮気心があるか、多くの人に聞いてみろ」と言われ、
飛鳥川の淵が明日は瀬になるというたとえのように
心は変わりやすいものだと、身分の高い人も低い人も言うでしょうと。

「皆」と「水上」を掛け、身分の「上下(かみしも)」に
「川上・川下」を重ねた、いかにも伊勢らしい技巧的な歌です。
男が自分個人のこととして言った言葉に対して、
人に聞くまでもないわと、伊勢は一般論で返したのですね。


花も移り気?

祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい 七十二)の歌にある
「あだ波」は誘いかけてくる浮気な男を波にたとえたもの。
もともとは無駄にさわぐ波を指していたそうです。

無駄ということはむなしい、はかないことにも通じるため、
たとえば西行(八十六)はこう詠んでいます。

なにとかくあだなる花の色をしも 心にふかく思ひそめけむ
(新後撰和歌集 春 西行法師)

どうしてこれほどまでに はかない花の美しさなんかを
心に深く思い始めたのだろう

すぐ散ってしまう花を浮気な花だと見ても意味は通じますが、
そこにはかなさを重ね合わせ、さらに
恋にも似た思いを含ませることで、
西行らしい叙情が生まれています。