『小倉百人一首』
あらかるた
【182】あらたまの年
正月の楽しみ
正月には帰省して、親戚や旧友と
楽しい時を過ごすという人も多いでしょう。
藤原兼輔(かねすけ 二十七)にこんな歌があります。
新しき年の始めのうれしきは 古き人どちあへるなりけり
(兼輔集)
なつかしい人どうしが会える楽しみは
平安時代も今と変わらなかったようです。
兼輔は正月を待っているようですが、
中にはこんな歌を詠んでいる人も。
あらたまの年の始めにあひ来れど などふりまさる我が身なるらむ
(玉葉和歌集 雑 花山院御製)
「あらたまの」は「年」や「春」にかかる枕詞。
年が改まるという年始に(何度も)遭ってきたけれど
どうして我が身は古くなっていくのだろうと。
数え年では元日にみんなそろって歳をとりますから、
花山院(かざんのいん)の言うように
年が新しくなるたび自分が古くなるのは当たり前のことです。
しかし当時の「新しくなる」年には、
今とはすこしばかりちがう意味がありました。
リセットされる一年
時間は直線的に推移する、というのが
現代人の一般的なイメージではないでしょうか。
しかしかつては時間を円環(=輪)ととらえていたらしく、
和歌にもそれを思わせる作品が多数見つかります。
藤原基俊(もととし 七十五)はこう詠んでいます。
ものごとにあらたまれども 恋しさはまだふる年にかはらざりけり
(基俊集)
(新年になって)いろいろなものが改まるけれど
恋しい思いは過ぎた年となにも変わりませんでしたよ
元日に女のもとに届けさせたと詞書(ことばがき)にあり、
新年になっても思いは変わらないと、正月早々熱い恋文。
物毎(ものごと)に改まるというのは、
さまざまなものがそれぞれリセットされるということです。
思ふことのあらたまるべき春ならば 憂き身も年の暮やいそがん
(玉葉和歌集 雑 章義門院)
章義門院(しょうぎもんいん)は
思っていることもリセットされると言っています。
だからつらい身の上だけど暮の準備をしようと。
日本の各地に、元日の朝に若水(わかみず/おちみず)を汲んで
口をすすいだり、ご飯を炊いたりする風習がありました。
元旦に汲む水には霊力があると信じられており、
人々はこれによって生まれ変わるとされたのです。
実際に農耕儀礼として、
元日に一家の主(あるじ)が生まれたままの姿になって
神を祀る習俗があったことが報告されていますから、
物毎に改まる(=再生する)という考えは広く浸透していたのでしょう。
還暦の祝いに赤いちゃんちゃんこを着るのは
時間が一周してもとにもどったしるし。
赤は産着の色であり、生まれ変わったことを表しています。
還暦は暦(干支=えと/かんし)がもとに還ると書きますから、
時間は円環になっていると考えられていたのでしょう。
そう思って読むと、花山院の歌は
現実はそうじゃないんだがというぼやきだったのかも。