『小倉百人一首』
あらかるた
【183】大江千里と源氏物語
朧月夜の出会い
『源氏物語』の「花宴(はなのえん)」で、
光源氏は深夜、朧月夜(おぼろづきよ)の歌を口ずさむ美女を見かけます。
ここから危険な恋がはじまるのですが、
美女が「朧月夜に似るものぞなき」と歌っていたのは
大江千里(おおえのちさと 二十三)の和歌でした。
照りもせず曇りもはてぬ 春の夜の朧月夜にしくものぞなき
(大江千里集 風月)
第五句が少し異なっていますが、意味は同じ。
晴れるのでもくもるのでもない、
春の夜のぼんやりした月夜にくらべられるものはないというのです。
心惹かれた光源氏は女性の袖をつかんで引き寄せ、
嫌がるのを抱き上げてこう歌いかけます。
深き夜のあはれを知るも 入る月のおぼろけならぬちぎりとぞ思ふ
(源氏物語 花宴)
このような深夜のおもむきをあなたがおわかりなのは
わたしに出会うというはっきりした(=おぼろけならぬ)
前世からの宿命があったからだと思います
源氏はこうして政敵側の女性とも知らず思いを遂げてしまい、
やがて須磨への蟄居(ちっきょ)という不遇時代を招くことになります。
人気詩人だった白楽天
紫式部が引用した「照りもせず」は、
千里の百人一首所収歌とおなじく句題和歌(くだいわか)でした。
漢詩の句を題にして和歌を詠むというもので、
千里はそのパイオニアと考えられています。
月見れば千々にものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
(二十三 大江千里)
月を見ているとあれこれと悲しい思いが湧いてくる
秋はわたしのところだけに来るわけではないのだが
この歌は白楽天(白居易)の「燕子楼(えんしろう)三首」という
漢詩を踏まえていることが知られています。
同様に「照りもせず」の句題も白楽天から採られており、
句題はこういう七文字です。
不明不暗朧朧月 明ならず暗ならず朧朧(ろうろう)たる月
明るくも暗くもなくてぼんやりした月というだけですが、
千里は「匹敵するものがない」という意味をつけ加えています。
白楽天は当時もっとも人気のあった詩人でした。
その詩文集『白氏文集(はくしもんじゅう)』は愛読者が多く、
平安朝の貴族やインテリ官人はこぞって読んでいたといいます。
女性にも読者がおり、清少納言は愛読書のトップに挙げているほど。
光源氏は『文集』を座右の書としていたことになっており、
作者紫式部も『文集』をヒントに
『源氏物語』の多くの場面を構成しています。
それほど有名な詩人の作品をもとにしているのですから、
千里は単なる翻訳では済まないと思ったのかもしれません。
千里は句題和歌を集めた『大江千里集』の序のなかに
「只欲解頤」と書いています。
ただ顎(あご)を解かしむることを欲す、
つまり「笑ってもらいたいだけ」なのですと。
謙遜もあるとは思いますが、
おそらく原詩を知っている人たちに
「なるほどそう来たか」と思って欲しかったのでしょう。