『小倉百人一首』
あらかるた
【187】神のまにまに
風にまかせて
『古今和歌集』に小野小町(九)と小野貞樹(さだき)の
このような贈答歌が載っています。
今はとてわが身しぐれにふりぬれば 言の葉さへに移ろひにけり
(古今和歌集 恋 小野小町)
時雨に降られたようにわが身の老いた今
(あなたのあのころの)言葉までもが
(時雨に濡れた木の葉のように)色あせてしまいました
人を思ふ心この葉にあらばこそ 風のまにまに散りもみだれめ
(古今和歌集 恋 小野貞樹)
あなたを思うわたしの心が木の葉ならいざ知らず
(そうではないのだから)風にまかせて
散り乱れる(=よその女に心を移す)ことなどあるでしょうか
貞樹の歌にある「まにまに」は成り行きにまかせることをいい、
現代文なら「風のままに」と書くところ。
同じ『古今和歌集』にこういう歌もあります。
花散れる水のまにまにとめくれば 山には春もなくなりにけり
(古今和歌集 春 清原深養父)
散った花の流れる川に沿って(春を)探し求めて行ったけれど
山には(もはや)春(の花)もなくなっているのだったよ
「とむ」は「尋む/求む」と書いて尋ねる、探すこと。
深養父(ふかやぶ 三十六)は山中の川の流れにまかせて、
上流へ上流へと春を探しに行ったのです。
神の心のままに
百人一首には菅原道真の「神のまにまに」が収められています。
このたびはぬさもとりあへず 手向山もみぢのにしき神のまにまに
(二十四 菅家)
このたびの旅は幣(ぬさ=みてぐら)も持ち合わせておりません
とりあえずは手向山(たむけやま)の錦のような紅葉を
御心のままにお受け取りください
この場合は成り行きまかせではないように思えますが、
神が受け取るかどうかわからない、
神の心まかせの状態だと言っているのです。
最後に藤原兼輔(かねすけ 二十七)の
技巧的な「まにまに」を。
きみがゆく越の白山知らねども ゆきのまにまに跡はたづねん
(古今和歌集 離別 藤原兼輔朝臣)
君が行く越(こし)の国の白山(しらやま)は知らないが
君の行く道にまかせてその後を尋ねよう
大江千里(おおえのちさと 二十三)の弟、千古(ちふる)が
越の国(=北陸)に旅立つとき、送別会で詠んだもの。
「行きのまにまに」と「雪の間に間に」をかけて
加賀の白山(はくさん)と結びつけています。
雪を分けてでも会いに行きたいくらいだというのですから、
歌を贈られた千古はさぞ喜んだことでしょう。