読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【189】遊女の百人一首


島原テイストの百人一首

江戸時代の初期、元禄のころの流行歌に、
京都島原の遊郭で生まれたという小唄(こうた)がありました。
投節(なげぶし)と呼ばれるもので、
三味線の伴奏で歌われる、粋な近世歌謡です。

歌詞は七七七五で書かれ、既存の流行歌の焼き直しや
よく知られた古典から題材を採ったものが多かったようです。
王朝和歌を素材にしたものもあり、たとえば

忍ぶ心を 色には出さじ
物やおもふと 問ふばかり

これは百人一首にある平兼盛(たいらのかねもり)の歌から。
「しのぶれど色にいでにけりわが恋は ものや思ふと人のとふまで」が、
リズムが変わっただけでなく、近世語(=江戸時代の言葉)によって
庶民的な響きをもった、どこか色っぽい歌に変貌しています。

投節はくり返し(リフレイン)に
決まりごとがあったそうです。
それにもとづいて実際の歌われかたを再現すると

忍ぶ心を 色には出さじ
物やおもふと 問ふばかり
おもふと物や 物やおもふと 問ふばかり

というふうになるようです。
くり返すときに語句を入れ替えるのが特徴です。


はやり歌も遊郭から

投節を歌っていたのは太鼓女郎(たいこじょろう)という
芸能専門の島原女郎たちでした。

現代人にはピンとこないかもしれませんが、
江戸時代の人々にとって和歌は身近な文芸でした。
よく知られた和歌をどんなふうにイメージチェンジさせるか、
太鼓女郎たちは知恵を絞ったのでしょう。

たとえば式子内親王(しょくしないしんのう)の歌は、
このように変えられています。

もはや命も 絶えなば絶えよ
住めば恨めし 同じ世に

本歌は「ながらへば 忍ぶることのよわりもぞする」と、
生きていたら忍ぶことができなくなりそうだと言っていました。
しかし投節を口語にしてみると

もうこのまま死ぬんなら死んじゃってかまわないわ
あなたと同じ世界に生きているなんて耐えられないもの

「同じ世界」は「同じ時代」でもよいでしょう。
投節は本歌にない「恨めし」を歌いこむことで、
貴族女性の恋歌を庶民の感覚に引き寄せているように思えます。

遊郭は江戸時代の文化発信地だったことが知られていますが、
髪型やファッションだけでなく、流行歌の発信地でもありました。
評判を呼んだ歌は遊郭を出て、
一般の町民たちまでが口ずさむほどになったのです。

歌詞を集成したソングブックが出版されていたことからも
その人気ぶりがわかります。
そのなかに百人一首が元ネタの歌があったとは
おもしろいですね。