『小倉百人一首』
あらかるた
【191】大丈夫な話
ますらおの歌
「お茶はいかがですか」
「わたしは大丈夫です」
このような、一昔前には成立しなかった会話を
最近よく耳にします。
「いりません」「遠慮します」といった
ことわりの言葉として「大丈夫」が使われているようです。
「丈夫(じょうぶ)」はかつて「ますらお」とも読み、
力強い男、男らしい男を指していました。
「大丈夫(だいじょうぶ)」は体格のよい頑健な男をいい、
これが転じてしっかりしていること、安心なことを指すようになったのは
江戸時代からではないかといわれています。
和歌に出てくる丈夫(ますらお、益荒男)は
『万葉集』ではほとんどが武人。しかし、
平安時代になると猟師や農夫を指すことが多くなります。
藤原俊成(しゅんぜい/としなり 八十三)の歌は
猟師の灯火を題材にしたもの。
ますらおや端山わくらん ともしけち蛍にまがふゆふやみの空
(風雅和歌集 夏 皇太后宮大夫俊成)
狩人が人里近い山の草木を分けて歩いているのだろう
鹿狩りの松明(たいまつ)が夕闇の空に
蛍の舞うかのように見えているよ
次は勝命(しょうみょう)法師が
「苗代水(なわしろみず)」の題で詠んだものです。
雨降れば小田のますらおいとまあれや 苗代水を空にまかせて
(新古今和歌集 春 勝命法師)
雨が降って田ではたらく農夫が休めるといいね
苗代に水を引く仕事を空に(=天候に)まかせて
どちらの歌でもますらおは風景の一部になっていて、
しかも、強く勇ましいイメージは見られません。
言葉の使われかたが変わるのは、昔も早かったのでしょうか。
たおやめの歌
男らしい男をますらおと呼ぶのに対し、
女らしい女をあらわすのが手弱女(たおやめ)です。
「手弱」は当て字で、しなやかなことをあらわす
「たわ(撓)」が語源なのだとか。
春くれば星のくらゐにかげみえて 雲居のはしにいづるたをやめ
(玉葉和歌集 春 前中納言定家)
春が来ると星の地位にかげりがみえて
(そのかわりに)空の端にしとやかな女が姿を見せるよ
定家の歌は解釈がむずかしいのですが、
春になると大気中に水蒸気が増えて星が見えにくくなり、
雲のあるところ(=空)におぼろ月があらわれて
目を楽しませてくれるというのでしょう。
ところで、和歌には「ますらおぶり」「たおやめぶり」という
独特の文芸用語があります。
賀茂真淵(かものまぶち)が提唱したものといわれ、
男性的な力強い歌風の『万葉集』を「ますらおぶり」
『古今和歌集』以降の女性的で優美な歌風を
「たおやめぶり」と呼んで区別したのです。
百人一首の歌はほとんど「たおやめぶり」ということになりますね。