読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【179】風の吹きしく


止まぬ秋風に

降りしきる雨、
などというときの「しきる」は「頻る」と書き、
引きつづき起こること、何度もくり返して起こることを指します。
古語の「しく」も同じで、「しきりに~する」という意味で使われます。

春日野にけふもみ雪の降りしくは 雲路に春やまだ来ざるらむ
(新続古今和歌集 春 清原深養父)

春日野(かすがの)に今日も雪が降りつづいているのは
空の道を通って春がまだやって来ていないからだろう

奈良の春日野は早春の若菜つみで知られ、
春の代表的な行楽地でした。
雲路(くもじ)は月や渡り鳥が通るとされた空の道です。
深養父(ふかやぶ 三十六)は春もその道を通ると考えたのですね。

百人一首の文屋朝康(ふんやのあさやす)の歌は
「しく」が使われた代表的な一首です。

白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
(三十七 文屋朝康)

(草葉の上の)白露に風がしきりに吹きつける秋の野では
糸につながれていない玉が散っていくようだ

宝石のように輝く露の玉が、絶え間なく吹く秋風に
はらはらと散っていくさまが目に浮かびます。


時間の経過を詠む

崇徳院(すとくいん 七十七)には
岸の柳を詠んだ歌があります。

嵐吹く岸の柳のいなむしろ をりしく波にまかせてぞ見る
(新古今和歌集 春 崇徳院御歌)

激しい風の吹く岸辺の柳の(稲筵のように)なびく枝を
(筵を織るように)寄せては返す波にまかせて見ることよ

上の句の稲筵(いなむしろ)は稲の藁(わら)で編んだむしろ。
一面に実った稲穂をむしろに見たてて稲筵と呼ぶこともあります。

下の句では織りつづけるという意味の「織りしく」と
折りつづける(=折り返し打ち寄せる)という意味の「折りしく」が
掛詞(かけことば)になっています。

この歌のように、時間の経過する中で
おなじことがずっと行われている、起こっているさまを
「しく」であらわします。
藤原定家(九十七)の例を見てみましょう。

鐘の音に松に吹きしくをひ風に 爪木やおもき帰る山人
(玉葉和歌集 雑 前中納言定家)

晩鐘の音の響く中 松に(音を立てて)吹きつづける追い風を受け
帰っていく木こりの背負う爪木(つまぎ)は重いことだろう

鐘は夕方に撞(つ)かれる入相(いりあい)の鐘を指し、
爪木は薪(たきぎ)にするための小枝のこと。
松に吹く風は松韻(しょういん)などと呼んで
その音色を愛でるのがふつうなのですが、
ここでは木こりの背中を押して帰りを急がせているようです。

鐘の音と松風の音の中、山を下りて行く木こりの姿が
短編動画を見ているかのように目に浮かびます。